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月岡芳年(つきおかよしとし)最後の浮世絵師。

月岡芳年(つきおかよしとし)

幕末から明治中期にかけて活動した浮世絵師。

歌川国芳(うたがわくによし)の弟子。

武者絵や妖怪画など。

54才で亡くなるまでに1万点の作品を残した。

「最後の浮世絵師」「血まみれ芳年」とも言われる。

『芳年武者無類(よしとしむしゃぶるい)』

荻(おぎ)はけものへん、萩(はぎ)は秋

■「荻」おぎがつく2人。

・荻生徂徠(おぎゅうそらい)・・儒学者。柳沢吉保に仕えた。5代綱吉に儒学を教えた。

・荻原重秀(おぎわらしげひで)・・5代綱吉・勘定吟味役。元禄小判。金を6割弱に減らして元禄バブルを起こした。


■「おぎ」と「はぎ」の違い。

⇒おぎ
「おぎ」は、けものへん。

⇒はぎ
「はぎ」は秋。

 

 

上野(こうずけ)下野(しもつけ)上総(かずさ)下総(しもうさ)

上野(こうずけ)・下野(しもつけ)

上総(かずさ)・下総(しもうさ)

 

上野(こうずけ)⇒群馬県(前橋市)

下野(しもつけ)⇒栃木県(宇都宮市)

常陸(ひたち)⇒茨木県(水戸市)

 

忠臣蔵の「吉良上野介」が「きら こうずけ のすけ」

「上野=こうずけ」

 

下総(しもうさ)、上総(かずさ)、安房(あわ)

⇒3つ合わせて千葉県(千葉市)

 

 

千葉は安房(あわ)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)で「房総(ぼうそう)半島」。

海の方から順番に読んで「房(ぼう)」「(上・下)総(そう)」半島。

上野(こうずけ)下野(しもつけ)上総(かずさ)下総(しもうさ)

ひらひらひら。奥州藤原氏と藤原氏の三平(さんひら)兄弟。

「ひら・ひら・ひら」×2

【1】東北の「ひら・ひら・ひら」

奥州・藤原氏

・藤原清衡(よひら)
・藤原基衡(とひら)
・藤原秀衡(でひら)

(ついでに藤原泰衡(やすひら))

肝を冷やす(「き」「も」を「ひ」「やす」)

「衡」は「ひら」と読む。

 

・藤原清衡(きよひら)⇒「中尊寺金色堂」

・藤原基衡(もとひら)⇒「毛越寺庭園(もうつうじていえん)」。「も」で共通してる。

・藤原秀衡(ひでひら)⇒「無量光院(むりょうこういん)」

 


【2】平安・藤原家の「ひら・ひら・ひら」

藤原基経(もとつね)の息子たち、三兄弟。

・藤原時(ときひら)
・藤原仲(なかひら)
・藤原忠(ただひら)

父・藤原基経
マンガ「応天の門」に出てくる、クール系の権力人。初めて関白になった人。

57代陽成天皇(17「つくばねの」)を廃位し、58代光孝天皇(15「君がため」)を立てた。

 

基経の息子三兄弟は三平(さんひら)と呼ばれる

・藤原時平:菅原道真を大宰府に追いやった。たたりにあったと言われている。

・藤原仲平:伊勢が18「なにわがた」の歌を贈った相手。

・藤原忠平:貞心公(26「小倉山」)。忠平は道真にきつく当たってないから、たたりをまぬがれたのかも。

 

 

古墳時代。ヤマト政権。

古墳時代。

3世紀後半(250年~) 大和(ヤマト)政権が成立。

王は大王(おおきみ)。

東北から九州を支配。高句麗や新羅と戦う。

 

古墳時代 豪族の古墳。

前方後円墳。
大山(だいせん)古墳。仁徳天皇陵。

 

埴輪(はにわ)

渡来人(とらいじん)が仏教や儒学、漢字を伝える。

 

 

光る君へ(9)遠くの国 メモ

光る君へ(9) 遠くの国 メモ
2024/3/3放送

寛和二年(986年)
東三条殿に盗賊。直秀捕まる。

獅子奮迅(ししふんじん):すばらしい勢いで奮闘する様子。
武者を雇っている。
その手前、罰するしかない。示しが付かない。

花山天皇

 

 

 

 


藤原道隆(長男)邸

高階貴子(たかしなのたかこ/きし)。

藤原 義懐(ふじわらのよしちか)公任、斉信を酒の席に呼ぶ。

道隆はそれに対して漢詩の会を開く。

東宮。懐仁親王(やすひとしんのう)

詮子は左大臣と手を組む。

「私は父が嫌いです。されど父の娘ですゆえ、父に似ております。」

女御は、親王または大臣の姫君。

道長・右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)

項羽VS劉邦。劉邦⇒前漢を建国。

240521
中国史


秦⇒前漢⇒新⇒後漢

秦の始皇帝亡きあと・・項羽と劉邦が台頭。

楚のエリート項羽 VS 農民出身の劉邦

鴻門の会(こうもんのかい)
劉邦がやられそうになったが逃げる。

劉邦側に、韓信(かんしん)。
「国士無双」の語源になった天下一の強い人。
「背水の陣」(追い詰められたらパワー出る)を初めにやった人でもある。

 

垓下(がいか)の戦い。
四面楚歌。虞美人草(ひなげし)

項羽破れる。劉邦(高祖)が勝つ⇒前漢を建国。

郡国制から郡県制へ。


前漢7代 武帝(ぶてい)⇒領土が最大に

シルクロードなど。


王莽が新を建国。15年で終わる。


劉秀(光武帝)が後漢を建国。

「漢委奴国王印」


 

参考:『小学生でも分かる世界史』

 

 

 

四書五経(ししょごきょう)

ししょごきょう【四書五経】

儒教で重要な経典として尊重された書物。儒学の中心は、始めは五経だったが、宋代の朱子学が四書を基本においた。

・四書
『大学(だいがく)』
『論語(ろんご)』
『孟子(もうし)』
『中庸(ちゅうよう)』

・五経(ごきょう)
『易経(えききょう)』
『詩経(しきょう)』孔子
『書経(しょきょう)』孔子
『礼記(らいき)』
『春秋(しゅんじゅう)』孔子。魯の歴史。

・四書
『大学(だいがく)』・・もと『礼記』の中の一編。修身から天下を治めるまでの根本原則。

『中庸(ちゅうよう)』・・もと『礼記』の中の一編。天と人とを結ぶ原理を説いた哲学書。

『論語(ろんご)』・・春秋時代の孔子と弟子たちの言行録。儒家の中心となる経典。

『孟子(もうし)』・・戦国時代の孟子の言行を弟子たちが編纂。性善説を説く思想書。

・五経(ごきょう)
『易経(えききょう)』・・占いの書。陰と陽で自然と人生の法則を説く。

『書経(しょきょう)』・・嶤(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)から周までの王者の言行の記録。

『詩経(しきょう)』・・中国最古の詩集。西周から春秋時代の歌謡。

『礼記(らいき)』・・礼についての解説と理論の書。唐代に五経に加わる。

『春秋(しゅんじゅう)』・・春秋時代の魯国の年代記。編年体での記録。

引用。学研キッズネット

タペストリー。

光る君へ(6)二人の才女 メモ

光る君へ(6)二人の才女 メモ
2024/02/11放送

永観二年(984年)

左大臣・源雅信。倫子。
59代 宇多天皇の血筋。

一の姫(長女)


寛和元年(985年)

倫子サロン。

53. 嘆きつつ 独りぬる夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る / 右大将道綱母

なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる

(訳)あなたが来ないことを嘆きながら一人で寝る夜がどんなに長いか、きっとあなたはご存じないでしょうね。

「蜻蛉日記」作者。

前書き。身分の高い男に愛された女の思い出の記。

「苦手なことを克服するのも大変ですから、苦手は苦手、ということで参りましょうか」

おかしきことこそ めでたけれ


花山天皇

女御(にょうご)よしこ


藤原道隆(長男)邸

高階貴子(たかしなのたかこ/きし)。

藤原 義懐(ふじわらのよしちか)公任、斉信を酒の席に呼ぶ。

道隆はそれに対して漢詩の会を開く。


東宮。懐仁親王(やすひとしんのう)

詮子は左大臣と手を組む。

「私は父が嫌いです。されど父の娘ですゆえ、父に似ております。」

女御は、親王または大臣の姫君。


漢詩の会

三位中将(さんみちゅうじょう)道隆様
鴻儒(こうじゅ)・・えらい儒者・学者。
清原元輔
御貴殿(ごきでん)・・あなた様
弟・ 惟規(のぶのり)
行成:独酌憶微之 白居易
斉信:花下自勧酒 白居易
道長:禁中九月対菊花酒憶元九 白居易
公任:自作
・元微之( げんびし )/元稹(げんしん)・・白居易の親友
・太宗(たいそう)・・中国、唐の2代皇帝。
・縫殿寮(ぬいどのりょう)・・中務省(なかつかさしょう)に属し、衣服の裁縫や女官の考課を担当した機関。

道長・右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)

ちはやぶる 神の斎垣(いがき)も 越えぬべし 恋しき人の 見まくほしさに
伊勢物語
ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 大宮人の 見まくほしさに
万葉集
ちはやぶる 神の斎垣も越えぬべし 今はわが名は 惜しけくも無し

<光る君へ紀行>

清少納言
山口県・防府(ほうふ)市
清原元輔が周防守