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『信長の忍び外伝〜尾張統一記』1巻

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『信長の忍び外伝〜尾張統一記』1巻

織田信長(1534.6.23-1582.6.2)享年49

・1546年(13歳)古渡城にて元服。

・父織田信秀。那古野城、古渡城を持つ。

・じい平手政秀

・沢彦宗恩(たくげんそうおん)
信長の教育係。「信長」「岐阜」「天下布武」を命名。

 

小田原・北条家

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相模国 小田原城 
北条家 
5代百年に渡り君臨する関東の覇者

北条氏康
北条氏政
北条氏直

支城は百を超える

薩摩・島津四兄弟

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薩摩国・島津家
九州は「大友宗麟」「龍造寺」「島津家」の三つ巴だったが「島津家」が勢力を伸ばした。

島津四兄弟
当主 長男 島津義久 くじで決める
次男 島津義弘 勇武英略、外科手術が得意
三男 島津歳久 智計
四男 島津家久 軍法戦術

秀吉の戦い

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秀吉の戦い(本能寺の変以降)

・1582.6 山崎の戦い(明智光秀)

・1583.3 賤ヶ岳の戦い(柴田勝家、三男織田信孝)

・1584. 3 小牧・長久手の戦い(徳川家康、次男織田信雄(のぶかつ))

・1585.3 紀州征伐(根来、雑賀)

・1585 四国征伐(長宗我部元親)

・1585.11 天正大地震(てんしょうおおじしん)→徳川攻めは取りやめ。外交で臣従させる方針へ。

・1586 豊臣秀吉となる

・1586 九州征伐(島津家)

・1590 小田原攻め 相模国(北条氏)→天下統一

尾張国の状況(1558頃)

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[尾張国の状況](1558~1559)

尾張守護・斯波家
(管領・京に在住)
守護代・織田大和守家
尾張下四郡
(清洲城)
守護代・織田伊勢守家
尾張上四郡
(岩倉城)
   ↑
織田弾正忠家

 

守護        斯波氏
          ┃
      ┏━━━┻━━┓
守護代 清洲織田氏  岩倉織田氏  
      ┃
配下  清洲三奉行

 

[1]尾張守護・斯波家(しばけ)(管領(かんれい)・京に在住)

↑↑ 仕える

[2]守護代・織田伊勢守家(おだいせのかみけ)
尾張上四郡(おわりかみよんぐん)(岩倉城)
VS
[2]守護代・織田大和守家(おだやまとのかみけ)
尾張下四郡(おわりしもよんぐん)(清洲城)

↑↑ 仕える

[3]織田弾正忠家(おだ・だんじょうのちゅうけ)
信長の家系。曾祖父のころ。勝幡城(しょばたじょう)(愛知県愛西市)

陪臣(ばいしん):臣下である者の、そのまた臣。

 

 

『豊臣兄弟!』(2)「願いの鐘」(2026/1/11放送)

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『豊臣兄弟!』(2)「願いの鐘」(2026/1/11放送)メモ

[第2回時点]
永禄2年(1559年)
兄・秀吉 23才(1537生)
弟・秀長 20才(1540生)
信長 26才(1534生)
尾張国・中村

[言葉]
・「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」
真言宗の念仏「弘法大師空海に深く帰依し、おまかせします」

・咎人(とがにん):罪人

・馬貸し:馬を貸して賃料を取る

[話]
・信長は、尾張統一を目指す。

・岩倉城の戦い(1558年)[第1回目(1559年)の1年前]
織田伊勢守(おだいせのかみ)を討つ

・秀吉:「これがこの世じゃ」

 


「豊臣兄弟!紀行」

・常泉寺(愛知・名古屋)
秀吉の産湯の井戸など。

・頭陀寺(静岡・浜松)
今川家の家臣、松下嘉兵衛(かへえ)に仕えていたといわれる。


嫡男は後継ぎのこと。

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・摘男(ちゃくなん)・・後継ぎ。正妻から生まれた一番最初の男子で、家や家督を継ぐ後継者。

・長男・・一番最初に生まれた男子。母が側室の場合もある。

孔子の弟子

孔子の弟子。

顔淵(がんえん)・・顔回(がんかい)。孔子がかわいがっている。篤実なタイプ。

子貢(しこう)・・顔回とほぼ同い年。

子張(しちょう)・・師(し)。「才にまかせて少々行きすぎる(孔子談)」

子夏(しか)・・商(しょう)「控えめすぎて足りないことも(孔子談)」

子路(しろ)・・剛直なタイプ。

宰予(さいよ)

冉求(ぜんきゅう)・・「女は画れり(なんじはかぎれり)」と言われた。

司馬牛(しばぎゅう)・・兄の桓魋(かんたい)が孔子を殺そうとした。

・孔門十哲(こうもんじってつ)

徳行
顔淵 | 閔子騫 | 冉伯牛 | 仲弓

言語
宰我 | 子貢

政事
冉有 | 季路

文学
子游 | 子夏

月の名前など。

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<月メモ>

・望月(もちづき)
陰暦15日の夜の満月。

・朔月(さくげつ)
月の1日。新月。
「朔」は「はじめ」の意味。
月がこれから満ちて、また欠けていく、その始めとなる。

・八朔(はっさく)
陰暦・八月一日。

<旧暦>
・旧暦の1カ月
旧暦では月の満ち欠けで1カ月が決まっていた。

だから、新月なら1日、満月なら15日などと、月を見れば暦が分かった。

・月は29.5日で一周する。

1日の新月🌑から、右から光りだして三日月🌙になり、7日ごろに右半分が光る上弦の月🌓になって、15日に満月🌕になる。

16日目から右から欠けていって、23日ごろは下弦の月🌗(左半分の月)になって、また新月🌑になる。

実際の季節との調整のために、2、3年に1回、閏月(うるうづき)が入り、1年が13カ月になった。

 

<月の名前>
1日 新月(しんげつ)🌑・・月が見えない。

3日 三日月(みかづき)🌒・・幸運の印ともされた。

7日 上弦の月(じょうげんのつき)🌓。半月。弓張月(ゆみはりづき)・・右半分が光る。西の空に沈むとき、上がまっすぐ(弓)になる。

15日 望月(もちづき)🌕・・満月。十五夜。

16日 十六夜月(いざよいづき)・・ためらう月。

17日 立待月(たちまちづき)・・立って待つ。

18日 居待月(いまちづき)・・座って待つ。

19日 寝待月(ねまちづき)・・寝て待つ。

23日 下弦の月(かげんのつき)🌗。半月。弓張月(ゆみはりづき)・・左半分が光る。沈むとき下がまっすぐ(弓)になる。

 

 

日本の暦について

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<日本の暦>

・29代欽明帝の頃(553)、百済から暦博士が来て、暦が伝わる。以降1300年間、旧暦(太陰太陽暦)が使われる。

宣明暦(せんみょうれき)
(859-1685)826年間
平安時代の貞観4年(859年・56代清和帝)から、江戸時代・貞享2年(1685年・112代霊元帝)まで使用された。

貞享暦(じょうきょうれき)
(1685-1754)70年間
渋川春海が日本独自の暦を考案。中国の授時暦を元にした。

・明治改暦

旧暦は、明治5年(1872年)12月2日まで。
(なので、1872年は11カ月しかない。)

新暦は、明治5年(1872年)12月3日を ⇒ 明治6年(1873年)1月1日としてスタートした。