歴史ドラマ – ページ 4 – 楽しく歴史

「軍師官兵衛」Disc6-第23回「半兵衛の遺言」メモ

 

「軍師官兵衛」Disc6-第23回「半兵衛の遺言」メモ

1579年 天正7年 11月
有岡城 落城

姫路に殿の無事が伝えられた。
(この時の侍女がよい。。)

秀吉が会いにくる。

信長にも会いに行く。
謀反の疑いを晴らしにいく。
松寿丸と再会。


有馬温泉
池坊(いけのぼう)
官兵衛は療養する。

 


京 妙顕寺
だしと高山右近が会う。
村重のことは恨んでいない。


善助「殿の足はもう元に戻らんかもしれん。。」
九郎衛門「わしらが生涯をかけ殿の足になればよい。」

家族の再会。。
官兵衛、てる、松寿


1579年 天正7年 12月
尼崎城で成敗が始まる。。
122名を磔。500名を火にかけた。。
裏切りの報い。。

信忠、明智光秀が懇願するも聞き入れず。

京 六条河原
村重一族郎党36名も根絶やしに。。
だしも処刑される。。


なかなか動かない足に苛立つ官兵衛。
毎晩夢にもうなされる。

半兵衛からの軍配をもらって気持ちを立て直す。


1580年 天正8年 正月

官兵衛 姫路城に戻る。

官兵衛「わしは以前のようには動けぬ。」
善助・家臣「殿!我らにお任せくださいませ!」

 

「軍師官兵衛」Disc6-第22回「有岡、最後の日」メモ

「軍師官兵衛」Disc6-第22回「有岡、最後の日」メモ

善助が忍び込んで声をかける。
生きる希望が見える。。

半兵衛が松寿丸に軍配を渡す。

1579年 天正7年6月
半兵衛亡くなる。36才。
「秀吉様。。面白うございました。。天下を。。」

半兵衛の夢を見る。。


岡山城。宇喜田直家も調子が悪い。
息子、宇喜田秀家。
織田に付くことを決めた。


村重「まだ死ぬなよ・・官兵衛・・」

1579年 天正7年9月 村重は有岡城を抜け出す。
尼崎城へ嫡男・荒木村次と共に。


1579年 天正7年10月
織田軍が有岡城に攻め込む。

織田は村重が降伏すれば助けると言ったが、それを言いにきた使者・荒木久左衛門は追い返される。。

看守。「この城も終わりだ。今まですまなかった。。逃げるがよい。。」
鍵を開けてくれる。。
息子玉松が気がかり。。
官兵衛「わしが預かろう。。」


家臣 3人が官兵衛を救い出す。

官兵衛「生きておる・・。。」

太兵衛「はい、殿は生きておいででございます!」

 

「軍師官兵衛」Disc6-第21回「松寿丸の命」メモ

「軍師官兵衛」Disc6-第21回「松寿丸の命」メモ

土牢(つちろう)
1578年 天正6年12月
織田軍有岡城攻め。苦戦。
万見仙千代討ち死に。

信長ブチ切れ。
官兵衛の仕業と決めつける。
人質松寿丸の首をはねよ、と。
半兵衛が承る。

官兵衛が絶望。。
生きる気力をなくす。
藤の花。

 

「軍師官兵衛」Disc5-第18回「裏切る理由」メモ

「軍師官兵衛」Disc5-第18回「裏切る理由」メモ

秀吉本陣 平井山。
播磨平定のため三木城の攻略に取り掛かる。
付城(つけじろ)を40作って、毛利の兵糧を入れさせない。
兵糧攻め。


荒木村重の家臣、中川清秀(茨木城)の家臣が裏切っていた。。毛利側についていた。これは宇喜田直家の指示。


毛利は九州から大友に攻められ動けない。

官兵衛は宇喜田(備前・岡山城)に「織田に付くなら今しかない」と交渉。


信長。地球儀。オルガンチノ。高山右近(高槻城)

イスパニア(スペイン)マゼランが3年かけて世界一周した。(1520年頃)50年以上前に世界が丸いことが分かった。

細川藤隆。
荒木村重の不穏な噂を報告。
光秀、仙千代が確かめにいく。

荒木村重 謀反。毛利側、本願寺に付く。


 

「軍師官兵衛」Disc5-第17回「見捨てられた城」メモ

「軍師官兵衛」Disc4-第17回「見捨てられた城」メモ

1578年 天正6年 5月
上月城。織田と毛利のにらみ合い。1月半。兵糧も尽きていた。
援軍は来ない。

織田信長は上月城に援軍は送らないと決めた。700対5万。播磨での織田の信用も失うと言ったが、だめだった。

秀吉 家臣 亀井新十郎
上月城に伝えに行く。毛利に降伏するように。。

「御礼申し上げる。。」


村重「所詮は使い捨てか。。」

半兵衛と官兵衛が話す。信長の非情なやり方についていけない官兵衛。。半兵衛は決断は正しかった。。という。嫌われても軍師としては最上の策をやるだけ。。と。自分のやり方を探したい官兵衛。


官兵衛と家臣団
太兵衛が孫子を!
「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」孫子
(意味:戦に勝つよりも戦わずに勝つことの方が上策)

「およそ兵戦の場は屍を止むるの地。死を必すれば即ち生き(しをひっすればすなわちいき)。生を幸いとすれば即ち死す(せいをさいわいとすればすなわちしす)」呉子(ごし)・治平(ちへい)第三

(意味:戦場とは屍(しかばね)をさらすところだ。死を覚悟すれば、生きのびることもできるが、生きながらえようと望んでいると、逆に死をまねくことになる。)


神吉城(かんきじょう)を落城。次は志方城。
滝川一益。顔に傷を負う。

万見仙千代(まんみせんちよ)信長の小姓。

荒木は6年、明智は10年。宿老。
荒木の気持ちが離れつつある。。見捨てられる。。と。


宇喜田直家が本当に味方か信用できないので、毛利軍はいったん退却。三木城(淀川長治)も、志方城(櫛橋左京進)も取り残された。。

「織田は上月を見捨て、毛利は我らを見捨てた。乱世の盟約とは儚いものよ。」
「官兵衛お前の勝ちだ。。」櫛橋左京進、切腹。


左京進の子供を官兵衛が引き取る。


平井山 秀吉本陣
改めて秀吉に付いていくと誓う官兵衛。


お紺が亡くなる。

 

 

 

「軍師官兵衛」Disc4-第16回「上月城の守り」メモ

「軍師官兵衛」Disc4-第16回「上月城の守り」メモ

秀吉軍は書写山へ本陣を移す。
円教寺。

毛利軍。三道併進(さんどうへいしん)。
総勢5万。

上月城。尼子軍700。
荒木村重が秀吉軍に合流。


安土城で能。
上杉謙信亡くなる。

信長は官職を辞する。
右大臣、右近衛大将(うこんえのだいしょう)
朝廷を庇護しているのは自分だ。


1578年 天正6年 5月
上月城。織田と毛利のにらみ合い。1月半。兵糧も尽きていた。援軍は来ない。

 

 

「軍師官兵衛」Disc4-第14回「引き裂かれる姉妹」メモ

「軍師官兵衛」Disc4-第14回「引き裂かれる姉妹」メモ

天正5年 1577年 11月
福原城 織田と毛利が激突。1日で織田が勝つ。
播磨の中で毛利に味方するのは上月城のみとなった。

上月城
身内同士の戦い。力(りき)とてる。
官兵衛が調略にいくが上月影貞(義兄)は毛利側のまま。

官兵衛の家臣団も仲間割れ。太兵衛と右衛門が喧嘩。

山陰の麒麟児、山中鹿介(やまなかしかのすけ)、尼子勝久(あまご かつひさ)
はやる官兵衛軍を助ける。半兵衛が根回ししてくれていた。

尼子家は毛利家に滅ぼされ再興をめざしていた。
「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った。

今日は身内が相手で焦りが出た。。と反省する官兵衛。
鹿介「自らのしくじりをつぶさに顧みるはなかなかできぬこと。。官兵衛殿はいずれとてつもない戦上手になられるでしょう。生き残っておれば・・の話ですが。ははは。」

家臣が謀反。上月影貞は討たれる。上月城は落城。
(宇喜田直家が後ろで糸をひいていた)

秀吉は上月城を尼子家に任せた。

播磨平定。

しかし上月城の家臣は信長によってみな討たれた。。←謀反して降伏したため。

信長は乙御前(おとごぜ)の茶釜を秀吉に。

「軍師官兵衛」Disc4-第13回「小寺はまだか」メモ

「軍師官兵衛」Disc4-第13回「小寺はまだか」メモ

秀吉の援軍が播磨に来る。
姫路城を明け渡す。義兄弟の書状。

粉骨砕身(ふんこつさいしん)・・(骨を粉にし身を砕いて)力の限りを尽くすこと。

秀吉のところに挨拶に来る。
神吉城主。神吉頼定 (かんきよりさだ)
三木城の別所長治と御着城の小寺は来ない。

秀吉的には別所重宗(しげむね)と官兵衛をつなぎとめるのが肝要。
重宗の娘と官兵衛の嫡男松寿丸を縁組みさせる。


長浜城で、おねの元で松寿丸、福島正則、加藤清正も一緒に育つ。


摂津。本願寺との闘い。荒木村重、高山右近、中川清秀が苦戦。


秀吉の方から小寺に会いにいく。プレッシャーかける。


天正5年 1577年 11月
秀吉8千の軍勢は西播磨へ。
福原城。
囲師必闕(いしひっけつ)。孫子の兵法。
三方を囲んで一方だけ逃げ道を作る。

大儀。天下統一。乱世を終わらせて天下泰平に。。
軍師官兵衛 ここに誕生。。

 

「軍師官兵衛」Disc3-第12回「人質松寿丸」メモ

「軍師官兵衛」Disc3-第12回「人質松寿丸」メモ

天正5年 1577年8月

2年越し。播磨に秀吉の援軍がくる。


武家社会に茶の湯が流行していた。名物と呼ばれる茶道具は一国一城に匹敵するほどの価値がある。富と権力の象徴。

天正5年 1577年8月
松永久秀謀反
平蜘蛛(ひらぐも)
大和の国主。信貴山城(しぎさんじょう)

播磨から人質を取る。


9月9日
邪気を払い長寿を願う。
重陽(ちょうよう)の節句。


岐阜城 城主は嫡男・織田信忠に。
織田の当主。


松寿丸が自ら人質を申し出る。