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「平清盛」大河2012/総集編3海の都

「平清盛」大河2012/総集編3

平清盛 1118年-1181年(享年64才)(松山ケンイチ)

1160年
武士として初めて政に参加できる公卿になった。

宋との交易を本格化。福原に港を作る。
宋銭。


源頼朝。伊豆・蛭ケ小島(ひるがこじま)八重姫。子ができるが八重姫の父は平家のため始末されてしまう。


清盛は財力を元に出世していく。

嫡男・平重盛も参議に。平一門を次々と公卿に推挙。三男宗盛、義弟時盛。

 

清盛の妻・時子の妹、滋子が後白河上皇の妃となる。

王家との関係が深まる。⇒子が生まれ、のちの高倉帝となる。

東宮大夫(とうぐうだいぶ)となる。東宮の長官。

内大臣へ昇進。

治天の君(ちてんのきみ)。天皇または上皇。

 

ついに太政大臣にまでなる。しかし100日で辞職。出家。

福原に移る。

清盛の弟、頼盛らとともに。

 

大和田泊(おおわだのとまり)。

海外との拠点にする。

大和田を博多のようにして、宋や高麗、天竺と交易し富を得る。その富で国を富ませる。それを朝廷ではなく平家一門でやるつもり。

「武士が頂に立つ姿」

 

清盛入道(きよもりにゅうどう)

清盛は時忠に命じて、赤い装束を着た「禿(かむろ)」を京にはなつ。

平家にさからったものは罰する。

時忠「平家にあらずんば人にあらず」

 

福原に朝廷も移す。

福原・大和田泊完成。

遷都。

 

1171
高倉帝の妃に清盛の娘・得子(とくこ)を入内(じゅだい)させる。

朝廷は皇族に武士の血が入ることを反発。

厳島の社で祈願。

中宮となった得子が武家と王家の結びつきを強める。

滋子が急死。後白河天皇と清盛の蜜月が終わる。。

 

 

1177 鹿ヶ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)

「平家を討つ」相談。

藤原成親(なりちか)、僧俊寛を流罪。僧西光は斬首。

 

言仁(ときひと)(のちの安徳帝)の誕生。

後白河法皇を討つことを重盛が体を張って反対する。

「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」

重盛が病に倒れて亡くなる。⇒後白河が重盛の所領を没収。

⇒「治承三年の政変」怒った清盛は法住寺殿へ兵を差し向ける。後白河を鳥羽の離宮へ移す。。

 

ついに清盛が国の頂点に立つ。

 

1180 安徳帝の即位。

都へ福原へ。遷都(せんと)。

公卿の不満がたまる。

「暗闇ばかり。。手に入れても光に届かぬ。。」

 

源頼朝・挙兵。。!

源平合戦の始まり。。

 

駿河・富士川の戦い。

清盛の孫:平維盛(これもり)

平氏は鳥の音を敵襲と間違い逃げ出す。

 

諸国の寺社も謀反。

還都(かんと)。

清盛は10年あまり過ごした福原の都を後にした。。

 

最後に後白河法皇と清盛が双六をする。。

平安の世はおわります。武士同志が戦わされてきた。今後は武士同志が派を争う世となります。。

後白河法皇「もうさようなところまでたどりついておったのか・・」

 

病床に倒れる清盛。頼朝の前に現れる清盛。。

「まことの武士とはいかなるものか見せてみよ・・」

 

1185 3/24 壇ノ浦の戦い

二位尼(にいのあま)(清盛妻・時子)

「海の底にも都はござりましょう・・」

平家滅亡。

 

源頼朝「平清盛なくして武士の世はなかった。。」

 

 

 

「平清盛」大河2012/総集編2保元・平治の乱

「平清盛」大河2012/総集編2保元・平治の乱

平清盛 1118年-1181年(享年64才)(松山ケンイチ)

1153
近衛帝は病に。
次の帝は崇徳上皇の皇子か。

鳥羽法皇は謝ろうとしたが、信西が阻止。
後白河天皇が美濃にいる。

1155
後白河帝の誕生。信西がコントロールするため。


1156 保元の乱
鳥羽法皇崩御。
崇徳院は政から遠ざけられた。鳥羽法皇、後白河天皇側を恨む。
崇徳院左大臣・藤原頼長が手を組む。

〇       ×
(鳥羽法皇)
後白河帝    崇徳上皇
信西
藤原      藤原頼長
平清盛(おい) 平忠正(おじ)
源義朝(息子) 源為義(父)

清盛の弟:平頼盛
清盛の母(忠盛の妻):池禅尼。(忠正から見ると姉)

平氏を絶やさないため、忠正(叔父)は崇徳側についた。

清盛は、忠盛がなれなかった公卿(くぎょう)になり、政に関わり世を変えるのが目標。

白河の北殿(崇徳)を倒すため、後白河側は夜討ちをかける。

後白河側の勝利。
だが・・信西が申し付ける。

平清盛(おい)が平忠正(おじ)と、その子ら4人を斬首。
源義朝(息子)が源為義(父)を斬首。

息子・義朝が殿上人になったことを喜ぶ父・為義。。

為義「殿上人になったそうじゃな。」
義朝「はい。」
為義「もう20数年も前か。平氏の棟梁、忠盛が殿上人となったとき、わしは悔しくてならなんだ。だが今お前がこうしてわしの望みを叶えてくれた。まこと孝行なせがれじゃ。」
義朝「・・・」
為義「義朝、我が首をはねよ。源氏の棟梁の証のその太刀で。」

 

清盛は播磨守(はりまのかみ)に昇進。

義朝は左馬権頭(さまのかみ)止まり。

 

院の近臣
藤原信頼(のぶより)(つかっちゃん)
藤原成親(なりちか)

後白河天皇の遊び。今様(いまよう)の宴。
遊びをせんとや生まれけん・・


時子の妹、滋子。


保元の乱ののち、信西入道が朝廷の実権を握る。清盛と手を組む。

源義朝(よしとも)は低い官位のまま出世せず。妻・由良が亡くなる。

信西への反発
藤原惟方(これかた)
藤原経宗(つねむね)

諸国よりうすく広く税を集める。民の暮らしは上向きに。
信西の国造りに清盛はかけた。

清盛は自分が先に高みに登って、義朝を待つつもりだった。
だが不満を持った義朝と貴族が反乱。
信西を討てば、官位、領地も思いのままとそそのかされる。


1159 平治の乱

源義朝、謀反。
信西の館を襲撃。

藤原信頼(のぶより)(塚地)
藤原成親(なりちか)
藤原惟方(これかた)
藤原経宗(つねむね)

藤原信頼
(のぶより)(塚地)が、三条殿(さんじょうでん)にいた後白河上皇、二条帝を幽閉。

義朝・謀反に驚く清盛(京から離れていた)。

嫡男平重盛(しげもり)は賢明であり、信西の源氏にへの冷遇を考えれば分かる話だと冷静に分析。

源氏の家臣。源頼政(よりまさ)

信西は自害。。

 

清盛は後白河上皇と二条帝の奪還に成功。

源氏と平氏の棟梁同志、源義朝と平清盛が戦うことになる。

賀茂川で一騎打ち。
「わが身は滅びても源氏の魂は断じて滅びぬ」

清盛は謀反に関わった貴族を処罰する。
貴族が武士に処断されるのは前代未聞。

義朝は落ち延びる途中、身内の裏切りにあい果てる。

 

頼朝を助けるように母・池善尼(いけのぜんに)から願われる。

友である義朝の刀、髭切(ひげきり)を頼朝に渡す。自分は下りないと宣言。

伊豆に流罪。

友・義朝の妻、常盤御前は清盛のもとへ。

 

清盛はついに武士で初めて公卿になった。

(朝廷に仕える三位(さんみ)以上の人。)

「平清盛」大河2012/総集編1武士の世

「平清盛」大河2012/総集編1

平清盛 1118年-1181年(享年64才)(松山ケンイチ)

父・平忠盛(ただもり)(中井貴一)

(白河上皇が本当の父親?の設定。)

幼名:平太(へいた)

平忠盛の弟:平忠正

武士は王家(朝廷)に仕えていた。盗賊の追討など。
「王家の犬」と呼ばれ、さげすまれている時代。

石清水八幡宮での舞い


父:源為義(ためよし)(小日向文世)⇒源氏の棟梁

嫡男:源義朝(よしとも)(玉木宏)

(八幡太郎 源義家の曽孫)

源氏は平氏に後れをとっていた。


1132年
平忠盛 殿上人(内裏への昇殿を許される)となる。
上流貴族の仲間入り。

鳥羽上皇から信頼を得たため。

摂関家の長:藤原忠実(ただざね)(國村隼)は反対。

源為義(小日向)が平忠盛(中井)を討とうとする。

源為義の父、源義親(よしちか)は、平忠盛の父、平正盛に討たれたから。
そこから源氏が落ちていった。

その敵討ちをしようとするが失敗。

 

清盛は義朝や佐藤義清(のりきよ)(のちの西行)らと切磋琢磨。

佐藤義清「いかなる世でも美しく生きるのが志」
清盛は「おもしろく生きたい」という。


1135年
西海を荒らす海賊追討令。清盛の初陣。追討使(ついとうし)

唐船(からふね)。宋。

高階通憲(みちのり)。のちの信西(しんぜい)。

海賊を仲間にする。海外(宋)に目が向いている。


最初の妻:明子(→疫病で亡くなる。)

嫡男(長男):平重盛(しげもり)

清盛の弟:平家盛、平頼盛。

まだ武士に参議(さんぎ)が許されない。

平時忠(ときただ)(森田剛)の、姉・時子が清盛の後添え(後妻)になる。

(平時忠。公家出身。桓武平氏・高棟流(堂上平氏)、平時信の子。
「平家にあらずんば人にあらず」を言った人。)


源氏。
源義朝と由良姫との子が源頼朝。


鳥羽上皇(三上博史)

正妻・璋子(たまこ)は白河院(祖父)と通じていた。
その間にできた子供が崇徳帝。鳥羽上皇の第1皇子。

側室・得子(なりこ)は鳥羽上皇との子を産む。国母(こくぼ)の座を狙うか。

 

鳥羽上皇の第4皇子。
雅仁・まさひと(のちの後白河天皇)(松田翔太)

清盛とすごろくをして子供をかけろという。


延暦寺の僧侶、山法師による「強訴(ごうそ)」
武士は追討を命じられていた。

清盛は神輿(しんよ)(みこし)を討つ。

藤原頼長(よりなが)(山本耕史)が追放しようとする。信西はかばう。

 

清盛は父になぜ自分を拾ったのか、平氏に災いをもたらすと思わなかったのかと問う。

清盛の母は陰陽師の世迷言などものともせず守り抜いた。たった一人で巨大な白河院に立ち向かった。

だから清盛が迷信に立ち向かう日を待っていた。これからに必要な人物だと父忠盛はかばった。

しかし弟・家盛が急死。

忠盛の正妻・宗子らが清盛のせいだと責める。。

 

曼荼羅の製作。一門を背負って立つ覚悟。

「武士の世」を作るため。武士が頂きに立つ。

 

『青天を衝け』総集編・第四部メモ(DISC2)大河ドラマ2021年

「青天を衝け」2021年(令和3年)大河ドラマ
総集編 DISC2 第四部 メモ

渋沢栄一
1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才


慶喜は駿府(静岡)で暮らしていた。

お目通り:目上の人に会う。

右大臣 岩倉具視 暗殺未遂事件。
喰違の変(くいちがいのへん)明治7年(1874年)

不平士族
江藤新平 佐賀の乱

大隈重信

大久保利通。不平士族の不満をそらすために台湾出兵を主張。
(ドラマにはないが木戸孝允(きど・たかよし)は反対して政府をやめた)

台湾への船を三菱に頼む。
三菱商会(創業者)
岩崎弥太郎。(土佐)

栄一は大蔵省(官)をやめて国立銀行の頭取(民)になる。

三井銀行開業。

金中心の世に憂う。金は卑しの武士の世が終わり、誰もが金を崇拝し始めた。開けてはならぬ扉を開けたのではないか・・。

栄一は「東京商法会議所」を作る。他業種のつながり。

栄一は合本でみんなで大きくなるべしと主張。国利民福(こくりみんぷく)(国の利益と人民の幸福)。

これに対して岩崎は儲けたい強い一人が全力を尽くすから前進する。欲は悪くないと主張。


「東京養育院」
生活に困る人を守る。

米 グラント将軍(前大統領)来日。
岩倉使節団のときの大統領。

栄一の妻たちは、大隈邸で井上馨、大倉喜八郎、益田孝の夫人に教えをこう。


1881年(明治14年)
開拓使官有物払下げ事件。
黒田清隆が北海道の官営事業を、同郷の薩摩の五代友厚に不当に安く払下げたと新聞に報じられた。

五代「名誉や金より大切なのは目的だ。豊かな日本を作ることが正義だと信じている。」


【偕老同穴】かいろうどうけつ
夫婦なかよく、生きてはともに年をとり、死んではいっしょに葬られること。

栄一の長女・歌子と穂積 陳重(ほづみ のぶしげ)(法学者)が結婚。

 

五代。電話、馬車鉄道の事業。

【青天白日】せいてんはくじつ
心にやましい所が全くないこと。


銀行、製紙、紡績、鉄鋼、建築、食品、鉄道、鉱山、電力、造船、など多くの産業に関わった。

女性が国際化に対応できる学校、病院、養育院、教育、福祉など。


1904年(明治37年)
日露戦争

慶喜の告白。
家臣を止めることはできない状況だった。

「人は誰が何を言おうと戦争をしたくなれば必ずするのだ。欲望は道徳や倫理よりずっと強い。」


1909年(明治42年)
渡米。平和外交。移民のために。

 

徳川慶喜公 稿本


1921年(大正10年)
ワシントン会議

1923年(大正12年)
関東大震災

 

「政治経済を道徳と一致せしめて真正なる世界の平和を招来せんことを諸君と共に努めたいのであります。」渋沢栄一

 

 

 

『青天を衝け』総集編・第三部メモ(DISC2)大河ドラマ2021年

「青天を衝け」2021年(令和3年)大河ドラマ
総集編 DISC2 第三部 メモ

渋沢栄一
1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才


薩摩藩士 五代才助/友厚

天璋院様御守衛 西郷隆盛(吉之助)

薩摩藩士 大久保利通(一蔵)

岩倉具視

フランスから借款はできなかった。

目付⇒外国奉行:栗本 鋤雲(くりもと じょうん)(安芸守)

証券取引所
債権、国債

1867年 10月 大政奉還
王政復古

薩摩に江戸城に火を付けられる。

1868年 1月 戊辰戦争。
鳥羽・伏見の戦い(淀・橋本)
慶喜は朝敵となった。開陽丸で大阪へ
(ナポレオン三世にフランス軍服をもらう慶喜)

上野 彰義隊。浅草本願寺。
箱館 五稜郭


明治維新

明治時代が始まる。
コンパニー。合本(がっぽん)

栄一は駿府にいたが、政府の大隈重信(佐賀・肥前)にスカウトされる。
太政官より呼び出し。

伊藤博文(いとう ひろぶみ)

民部大蔵省(みんぶおおくらしょう)租税

改正掛(かいせいがかり)

租税、貨幣

前島密(まえじまひそか)郵便制度を作る。漢学者が使う文字。

井上馨(いのうえかおる)廃藩置県。
新政府は安定した税収を得ることができた。

官営 富岡製糸場。

主要輸出品である生糸(きいと)の増産。
養蚕(ようさん)

大阪 造幣局。
円。新貨条例。バンク。

国立銀行
名は国立だが民で作る。
三井組と小野組。
官金=政府の金

三井組ハウス。両替店。
銀行にされる。

 

『青天を衝け』総集編・第二部メモ(DISC1)大河ドラマ2021年

「青天を衝け」2021年(令和3年)大河ドラマ
総集編 DISC1 第二部 メモ

渋沢栄一
1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才


文久3年(1863年)
栄一は一橋家で働く。
慶喜は一橋家に養子に入っている。

政の中心は江戸から京へ。

孝明天皇。朝議参与に任命。
「参与会議」

薩摩藩国父 島津久光(しまづ ひさみつ)
一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ)
前福井藩主 松平春嶽(まつだいら しゅんがく)
会津藩主  松平容保(まつだいら かたもり)
前土佐藩主 山内容堂(やまうち ようどう)
前宇和島藩主 伊達宗城(だて むねなり)

薩摩が武力に勝る。

 

横浜鎖港(さこう)をめぐり、慶喜は朝廷と幕府の間で板挟みに。

朝廷は薩摩の助言で意見がすぐコロコロ変わる。

慶喜は港は閉じると主張。

朝廷(中川宮朝彦親王(なかがわのみや-あさひこしんのう))に対して強く述べる。

結果⇒薩摩と強く対立することに。。参与会議は消滅。

慶喜は禁裏(=京都御所)を警備する禁裏御守衛総督(きんりごしゅえいそうとく)に任命される。


栄一は俸禄をもらう=武士になる。

 

「池田屋事件」

攘夷派の長州が、「天子様をそそのかす一橋や中川を討つ」という相談。

新選組が阻止。副長土方歳三。攘夷派を討つ。

水戸藩など攘夷派志士たちの怒りの矛先が一橋の慶喜に向かう。平岡が慶喜をそそのかしたと思い込み、水戸藩士に平岡が討たれる。


十二代家慶は慶喜のことをかっていた。「徳川を頼む」と。

「自分の輝きは幻」だと慶喜は言ったが、平岡は「その輝きは消えない、自分は尽未来際(じんみらいさい)仕える」といった。

尽未来際(じんみらいさい):仏語。 未来の果てに至るまで。 未来永劫 (えいごう) 。 永遠。

その後、平岡が討たれる。


元治元年7月19日 1864年

「禁門の変」
長州が御所に突入。蛤御門。
江戸幕府開府以来はじめての、京を戦場とする内戦。

一橋と薩摩藩の連合軍(幕府軍)が抑える。
慶喜「御所に筒先を向けるとは・・何が尊王だ・・」

幕府軍の勝利で終結。

西郷隆盛(吉之助)が慶喜を認める。「もう少し仲良くしておいた方がいいか・・」

家茂「一橋に比べ無力だ・・」
天璋院「旗本八万騎が忠誠を尽くしたいと望むのは水戸一橋ではなくあなた(徳川家茂)です」


水戸藩も内部で対立。攘夷派の武田 耕雲斎(たけだ こううんさい)(水戸藩・天狗党)らが幕府軍と戦う。

水戸の攘夷派が京都に来るが、慶喜は京を守るのが自分の役目だ・・と京都に入れない。


斉昭は「烈公(れっこう)」と呼ばれていた。

栄一は一橋を経済的に支えることにする。

懐具合をよくする。斉昭もそうだった。水戸のために、林、ガラス、茶畑を作り、ハチミツを集めた。

やったこと。

・米の入札払い

一橋の領家の年貢米は出来が良く限りがあるので、売るときに入れ札(いれふだ)で販売する。

・硝石(火薬の原料)の製造

・銀札(ぎんさつ)の発行

勘定組頭になる。


御注進:事件

家茂が逝去(せいきょ)。慶喜が将軍となる。

一橋の家臣の一部は、幕臣となる。

大阪 幕府陸軍奉行所

目付:栗本 鋤雲(くりもと じょうん)

勘定奉行:小栗忠順(おぐり ただまさ)(上野介)

 

「パリ博覧会」

慶応3年(1867) 遣欧使節団

慶喜の弟。徳川昭武(あきたけ)民部公子(みんぶこうし)

600万ドルの借款。

55日かけてフランスへ。

横浜、上海、香港、サイゴン、セイロン、アデン、スエズ、地中海、フランス・パリへ。。

スエズ運河建設中。国ではなく民間。

蒸気機関。

医師・高松凌雲(たかまつ りょううん)

薩摩・島津・琉球王国

外国奉行 支配組頭:田辺太一

薩摩藩士、実業家:五代才助/友厚(ごだい ともあつ)

薩摩藩士:大久保利通(一蔵)

イギリス公使:ハリー・パークス

「大君は日本の皇帝ではない」とパリの新聞に書かれた。

 

 

『青天を衝け』総集編・第一部メモ(DISC1)大河ドラマ2021年

「青天を衝け」2021年(令和3年)大河ドラマ

総集編 DISC1 第一部 メモ

渋沢栄一
後に「近代日本経済の父」と呼ばれる。

1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才
武蔵国生まれ。

藍(あい)作り。染料にする。

1853年(嘉永6年)
マシューペリー(ペルリ)来日

前水戸藩主
徳川斉昭(なりあき)

開国には反対。尊王攘夷派

息子:七郎麻呂(後の15代将軍 徳川慶喜)

水戸から一橋家に入り、当主となる。

十二代 徳川家慶

十三代 徳川家定(家祥いえさち)

御三家:初代家康の子供の代で分かれた。
尾張、紀伊、水戸

御三卿:八代吉宗の子供の代で分かれた。
清水家(長男・家重)、田安家(次男・宗武)、一橋家(三男・宗忠)

 

岡部藩 代官

陣屋(じんや):徳川幕府直轄領の遠国奉行(おんごくぶぎょう)や代官の住居および役所が置かれた建物。

下郎(げろう):身分の低い者。ののしっていう場合にも用いる。

 

平岡 円四郎(ひらおか えんしろう)は、川路 聖謨(かわじ としあきら/せいたん)や藤田東湖(ふじたとうこ)(水戸・徳川斉昭の懐刀(ふところがたな))から見いだされ、徳川慶喜の小姓となった。

旗本の四男。

 

紀州藩主。徳川慶福(よしとみ)
後の十四代 徳川家茂(いえもち)

十三代・家定の御台所、篤姫。(後の天璋院)

 

井伊直弼(掃部頭)が大老となる。

老中首座。堀田 正睦(ほった まさよし)(備中頭)

安政5年6月。1858年。日米修好通商条約。

天皇の許しを得ないままの調印。

 

家定は水戸や越前が嫌い。処分せよと井伊に命令。

「安政の大獄」

開国派の井伊が尊王攘夷派を弾圧。

水戸藩徳川斉昭、慶喜を蟄居。

福井藩、橋本佐内を処刑。

大橋 訥庵(おおはし とつあん):儒学者、尊王論者。坂下門外の変を計画。

 

幕府が朝廷に対して不敬を繰り返したことで尊王攘夷の志士たちが過激化していった。

東禅寺(イギリス公使館)通訳殺害事件、オランダ人船長惨殺(横浜)

1860年(安政7年)3月 桜田門外の変

 

 

老中 安藤信正(対馬守)

孝明天皇の妹、和宮が家茂に嫁ぐ。

河野顕三(こうのけんぞう)

坂下門外の変

 

平岡と川村 恵十郎(かわむら えじゅうろう)が栄一と出会う。

 

横浜居留地焼き討ち計画を立てる。⇒中止に。

 

孔子。「過(あやま)ちを改(あらた)めざるこれを過(あやま)ちという。」


1862年(文久2年)

慶喜は将軍後見職に

京都へ向かう

栄一も京都へ。

 

「軍師官兵衛」Disc7-2 第26回「長政初陣」メモ

「軍師官兵衛」Disc7-2 第26回「長政初陣」メモ

関白・九条さんキャラ仕上がってる~。いいね~。

 

「軍師官兵衛」Disc7-2 第26回「長政初陣」メモ

秀吉軍2万
毛利との国境、備前(織田領・元宇喜田領)と備中(毛利領)の国境へ。

沼城にとどまる黒田軍。
秀吉の養子・羽柴秀勝(信長の四男)の初陣のため。

「境目七城」「備中七城」・・南から松島城・庭瀬城・日幡城・加茂城・高松城・冠山城・宮路山城
要は「高松城」

備中 高松城主
清水宗治
備中、備後の2か国の国主に、といっても条件は飲まない。
毛利に義を尽くす。「裏切りによって得た国など裏切りによって失う。。」
その後も説得するが、調略できず。


加藤清正(虎之介)
福島正則(市松)


織田は6万の軍勢で武田家を滅ぼした。
諏訪 法華寺
信長 本陣

徳川家康に駿河。
河尻秀隆(かわじりひでたか)、穴山梅雪に甲斐を与える。

滝川一益 上野/こうずけ(群馬県)一国、信濃二郡を与える。
「珠光の小茄子(しゅこうのこなす)」を欲しがるがダメ。
信忠が諏訪で後始末を。

武田に身を寄せていた六角次郎(佐々木次郎/義貞)15年間逃げ続けていた。
甲斐 恵林寺
快川紹喜(かいせんじょうき)和尚
「国師」帝に仏法を教える

1582年4月3日 恵林寺焼き討ち。150人僧侶
「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」


高松城 攻略を考える。
水気の多い沼地に囲まれた城。
足守川(あしもりがわ)
故老・・(昔からの事に通じている)老人。


秀吉2万、宇喜田1万
備中に入る。

官兵衛・小早川隆景ともに「道は一つではありませぬ」

・調略に応じた
日幡城(ひばたじょう)上原元祐・もとまさ
加茂城(かもじょう)生石(おいし)ながつかさ

・攻める
冠山城(かんむりやまじょう)
長政の初陣。

兜首(かぶとくび)をあげた。
かぶとをつけた、大将などの首。

官兵衛はあまり感心しない。猪武者だと。

・宮路山城(みやじやまじょう)


官兵衛と毛利(安国寺恵瓊)との会談

「羽柴と毛利が手を組まないか」と持ち掛けられる。
組まないが、こちらも無駄な戦はしたくない。

官兵衛が、今織田に下れば、安芸、備後、長門、周防は約束すると言うが、恵瓊は受け入れず。


竜王山 黒田本陣
高松城攻め・模型でシミュレーション
「水攻め」


官兵衛、てるに2人目の男の子。
14年ぶり。熊の介

 

「軍師官兵衛」Disc7-1 第25回「栄華の極み」メモ

「軍師官兵衛」Disc7-第25回「栄華の極み」メモ

姫路城
綱引きする子供たち。


近江 坂本城

明智光秀に朝廷の意向を伝えにくる。
公家 吉田兼和(よしだかねかず)

狼藉者に奪われていた丹波山国荘(たんばやまぐにのしょう)を光秀が取り返して帝に献上した。

106代 正親町天皇(おうぎまちてんのう)

関白 九条兼孝(くじょうかねたか)

信長が官職を返上したことが気に入らない。。


毛利攻め
姫路城で評定

・山陽道 備前 備中の国境(くにざかい)
毛利方の7つの城が並ぶ。
小早川隆景が大将。時をかけて調略する。

・山陰道 吉川元春
光秀の力を借りる。秀吉は佐吉(石田三成)に行かそうとしたが、官兵衛が行く。


近江 坂本城
光秀の娘
倫(りん)
荒木村重の嫡男・村次の妻だったが離縁して戻ってきた。

毛利を頼って安芸にいる。。

山陰 鳥取城を落とす。

官兵衛と公家・吉田兼和が会う。
朝廷の威光がないがしろにされるのは困る、、と伝える。
帝は明智光秀推し。


岡山城
備前 宇喜田直家
宇喜田秀家を秀吉に託す。妻・せんも側女に。

秀吉が天下を取ると予言する。
信長は危うい・・と。


安土城 信長。
宣教師オルガンチノと巡察師ヴァリニャーノ
セミナリオ(神学校)・・キリシタンの小中学校。
コレジオ・・大学。

黒人(アフリカ)の家臣を連れてくる。
弥助と名付ける。


姫路城
官兵衛に二人目の子供ができた。


信長
左大臣を受けるなら帝の譲位を求める。

安土城
ライトアップ

高山右近「美しすぎまする。。恐ろしいほどに。。」

信長
「わしの心を本当に分かってるのはお前たちだけ。。」と秀吉、官兵衛に言う。


毛利
備後 三原城
小早川隆景
7つの城

備中 高松城主
清水宗治(しみずむねはる)
「山陽道に知らぬ者なき」


松寿丸 元服
黒田長政(くろだながまさ)

 

「軍師官兵衛」Disc6-第24回「帰ってきた軍師」メモ

「軍師官兵衛」Disc6-第24回「帰ってきた軍師」メモ

三木城
別所長治

別所重棟は織田側についている。

地獄からの使者。官兵衛。

別所長治と一族の首を差し出すと家臣を助けるという条件。
別所長治は受け入れた。

織田の評判は悪いから、城兵を救って酒と肴を送り、織田の恩情を世間に知らしめる。

キレッキレになる官兵衛。


1580年 天正8年 1月
三木城 開城。
2年にわたる三木城攻めは終わった。

御着城 小寺政元
家臣、小河(おごう)も逃げる。嫡男 小河信章。
江田も裏切り逃げる。
小寺も城から逃げた。


有岡城
信長が酒を飲む。
能。般若。


軍師として半兵衛のようにならなくては、と気負う官兵衛。。

小寺政元を切るか・・。
切れなかった。。

「甘さ」ゆえ。。と自分で反省するが。。

秀吉はその決断にむしろ喜んだ。
憎い敵を切らずして逃がす。それでこそ官兵衛だ、と。


信長
石山本願寺と和睦

正親町(おうぎまち)天皇の仲介
佐久間信盛の交渉


信長。森蘭丸。

佐久間信盛を追放。


秀吉。
羽柴秀勝を養子にもらう。
信長の四男。

明智にライバル意識。


1580年 天正8年 9月

官兵衛は一万石の大名になる。

黒田家の紋所、旗を藤の花にする。

牢の中から見た藤の花。
辛い思いを思い出す。同時に「生きよう」という思いが湧いてくる。

「多くの死を見てきた。。死があればこそ、命は重く尊い。。黒田の者はみな命の重みをかみしめ、共に力強く生きていく。」