歴史ドラマ – ページ 5 – 楽しく歴史

「軍師官兵衛」Disc3-第11回「命がけの宴」メモ

「軍師官兵衛」Disc3-第11回「命がけの宴」メモ

1574年7月
木津川の合戦
毛利軍の勝利。織田の負け。

秀吉の援軍が来ない。

義昭の仲立ちで上杉、武田、北条が和睦。
丹波の波多野。

備前の宇喜田直家を調略する。

上月城。上月影貞。

宇喜田直家「お主の目は澄んでおるな。そのような目の男を何人か知っておる。皆早死にしたがな。ハハハ。」

常に損得で考える。人は信じない。


お道と善助が夫婦に

摂津

善助「いつでもワシらが殿を支えてみせます」
官兵衛「頼むぞ」

キリシタン大名 高槻城主・高山右近と出会う

 

有岡城

荒木村重に頼むが援軍もむり。

 

「軍師官兵衛」Disc3-第10回「毛利襲来」メモ

「軍師官兵衛」Disc3-第10回「毛利襲来」メモ

将軍義昭
備後 鞆の浦
石山本願寺とも手を組む
顕如
信長包囲網

1576年 天正4年
姫路に毛利軍が襲来
英賀の浜(あがのはま)
毛利 五千 VS 姫路 千


1576年
信長VS本願寺
信長が太ももを討たれる


英賀御道(あがみどう)に毛利本陣
毛利に一向宗の門徒宗も付いた。
毛利軍大将 浦宗勝

旗を立てて援軍が来たように見せる。
官兵衛が勝利する。

信長が官兵衛を褒める書状を出す。


信長、安土城を作り始める。

安土に移る。

秀吉とおねとの夫婦喧嘩をいさめる手紙を信長が書く。

悋気(りんき)・・男女間の事で(主に女が)焼くやきもち。

天正4年7月
摂津 木津川河口
織田軍が毛利水軍に大敗する
本願寺へ兵糧を運ぶ毛利軍

 

「軍師官兵衛」Disc3-第9回「官兵衛試される」メモ

「軍師官兵衛」Disc3-第9回「官兵衛試される」メモ

石田三成と官兵衛がバチバチ。
竹中半兵衛と初対面。これまた厳しくバチバチに試される。

お手前(おてまえ)・・同じ身分の武士に使う対称。

「播磨の三家の当主をそろって信長に拝謁させる。」という策。
三木城・別所
御着城・小寺
龍野城・赤松


織田家
越前の一向一揆は、長島よりまとまりがない。


播磨
三木城当主・別所長治(18)(べっしょながはる・織田派)学問に秀でている。叔父の賀相(よしすけ・毛利派)と重棟(しげむね・織田派)が後見役。

「人に国柄(こくへい)を貸すなかれ」(「六韜」りくとう)
=(意味)「君主は臣下に統治の力を貸してはならない」

龍野城・赤松広秀

赤松は備前の宇喜田に攻められているので、織田側につけば宇喜多領も手に入れられると説いた。

御着がごねているのは竹中半兵衛が荒木村重をつかわせてくれた。

京都 妙覚寺で、播磨三当主と信長が会う。

「兵の情は速やかなるを主とす」孫子
(意味)戦いは迅速でなくてはならない

 

 

「軍師官兵衛」Disc2-第8回「秀吉という男」メモ

「軍師官兵衛」第8回「秀吉という男」メモ

1575年 天正3年7月

官兵衛は岐阜城で信長に拝謁する。

織田家の双璧。
瓶割り柴田。
丹羽長秀。
滝川一益、佐久間信盛。
姫路の兵は500。

山陽道は平たん。山陰道。
秀吉。瀬田の唐橋を見ていて遅れて到着。
官兵衛は信長に刀「へし切長谷部」をもらう。

門地門閥(もんちもんばつ)・・家柄。家の格式。

勝家は北国。明智光秀は丹波。


長浜城主 秀吉

北近江・長浜城下も楽市楽座。

「命の使い道」

石田三成

無調法・不調法(ぶちょうほう)・・行き届いた態度でないこと。へた。

秀吉が官兵衛の家臣、太兵衛たちを一千石などでスカウト。

善助「黒田の家を離れることだけはできかねまする。」

九郎右衛門「たとえ百万石積まれようとも我らの忠義はびくとも致しません。離れるときは死ぬときにございます。」

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秀吉と官兵衛 サシ飲み 苦い

尾張・中村の生まれ。

「味方の兵を減らすことなく勝利する」という考えが重要。
「人こそ宝」「戦わずして勝つ」ということで2人の考えは一致する。

 

 

 

「軍師官兵衛」Disc2-第7回「決断のとき」メモ

「軍師官兵衛」第7回「決断のとき」メモ

1573年
武田信玄 死去

姫路城・黒田家に毛利家の外交、安国寺・恵瓊(えけい)が来る。

官兵衛の弟 黒田兵庫助利高(くろだひょうごのすけとしたか)

毛利10か国。領国を守る。


1573年 天正元年 9月

浅井、朝倉滅亡

浅井領の北近江・小谷城を秀吉に。大名になる。⇒長浜城

木下藤吉郎⇒羽柴筑前守秀吉
長秀
田勝家


又兵衛(後藤又兵衛)

上月城 上月影貞は毛利に付く

織田か毛利か決断するのが当主の努め


織田家
長島 一向一揆
業が深い。因果応報。

備前・宇喜田尚家 は毛利についた。播磨の地侍は、ほぼ毛利に。


1575年 天正3年5月
長篠の戦い
織田・徳川連合軍が武田勝頼を破る。
3千丁の鉄砲。


誼を通じる (よしみをつうじる)親しいつながりをもつ。

御着での大評定。

父「官兵衛、失うことを恐れるな。お前が考えお前が決めるのだ。すべては生き残るため。」

織田は大儀を持って兵を進めているからこそ勢いは大河のごとく。。今川、浅井朝倉、武田を破った。

「国を治める者は義立てばすなわち王たり」(荀子・じゅんし)

織田は武勇・智謀(ぶゆうちぼう)ともに兼ね備えている。


摂津 有岡城(伊丹)

官兵衛は荒木村重を通じて信長と会う。

 

「軍師官兵衛」Disc2-第6回「信長の賭け」メモ

「軍師官兵衛」第6回「信長の賭け」メモ

1571年

信長、四面楚歌。包囲網。

近江

比叡山焼き討ち。

「比叡山が滅びるときに国が滅びる」と言われていた。

「仏法廃れば王法廃る」


元亀3年 (1572年)

松寿丸 5才

2人目を求められる官兵衛夫婦。

うなぎ。

しかし官兵衛は側室は持たない。


十七条の意見書。

武田信玄と義昭が手を結ぶ。

武田信玄が上洛する。

 


太兵衛が荒れる。善助と義兄弟に。


信長 岐阜城に戻る。

1573年 徳川家康 三方ヶ原で武田信玄に敗戦。

信長は援軍は出さない。

信長は義昭の方から動き出すのを待っている。

細川藤隆

義昭が兵をあげた。

大津。逢坂の関。
摂津・荒木村重が初めて信長に会う。信長側に付く。
刀に饅頭。信長は村重に摂津を任せた。村重は浪人から国主になった。

2日で将軍を制圧。


御師(おし)
伊吹文四郎

 


官兵衛は姫路から摂津・茨木城に荒木村重に会いに行く。

茶の湯の師匠。千宗易(せんのそうえき)/千利休からもらった高麗茶碗。

志方城 櫛橋左京亮亡くなる。官兵衛は先に帰る。善助と太兵衛は織田軍を見にいく。太兵衛は更にやる気になって滝と戦う。


1573年

槇島城(まきしまじょう)(京都・宇治)で義昭が兵をあげたが、織田軍・秀吉が討って室町幕府滅亡。

年号が天正に改められた。

 


安芸・吉田郡山城

毛利家
毛利輝元(毛利元就の孫)
吉川元春
小早川隆景


<官兵衛紀行>

兵庫県・西脇市

黒田庄町

荘厳時(しょうごんじ)

もうひとつの官兵衛伝説。

官兵衛がこの地で生まれたという伝承がある。

姥が懐(うばがふところ)

兵主(ひょうす)神社

秀吉が三木城攻めのときに腰かけた石。

「太閤腰掛石」

「軍師官兵衛」Disc2-第5回「死闘の果て」メモ

「軍師官兵衛」第 5回「死闘の果て」メモ

1568年 永禄11年9月

信長、上洛。

旗に永楽通宝(えいらくつうほう)

足利義昭を守護するのが大儀名分。

秀吉はまだ歩兵。

京都に入って、わずか一月で町の乱れを正す。

民や農民を安心させるのが先決。


黒田家は倹約する。

金はいざという時に使う。

家臣に服を売る。与えるともらえない者がひがむ。


1568年 永禄11年10月

足利義昭が15代将軍に就任。

信長は副将軍は辞退。
官職も官位もいらない。
堺、大津、草津に代官を置くことを願う。


秀吉が竹中半兵衛をくどく。


官兵衛に赤ちゃん生まれる。

松寿丸(黒田長政)


龍野・赤松政秀が3000で兵をあげたが黒田家が数百で奇襲で勝つ。

家臣に褒美(銭)を渡す。


1569年 永禄12年6月

再度赤松が攻めてくる。

善助は初陣。
井手 友氏、小兵衛、武兵衛。


井上九郎右衛門(くろうえもん)井上 之房(ゆきふさ)

太兵衛(たへえ)

黒田二十四騎


<官兵衛紀行>

播磨の小京都
兵庫県たつの市

鶏籠山(けいろうさん)

龍野古城

秩父山
官兵衛率いる黒田軍が布陣したとされる。

「黒田家譜」(福岡市博物館)

母里小兵衛、武兵衛のことが記されている。

 

「軍師官兵衛」Disc1-第4回「新しき門出」メモ

第4回「新しき門出」

堤を築く。

 

永禄10年(1567年)

室町幕府は衰亡の一途をたどっていた

越前 一乗谷
足利義昭(よしあき)(のちの15代将軍)
13代将軍 義輝(よしてる)の弟

朝倉家に身を寄せている。
細川藤孝。
明智光秀。

小寺家にも黒田家にも義昭から書状が届く。


官兵衛と光(てる)との出会い

山桃を渡し「これで仲直りです。」


雉狩り

 

櫛橋家との縁談。

父・元職は、官兵衛に家督を譲る。

黒田家の生き残る道。


美濃 墨俣城(すのまたじょう)

木下藤吉郎は西美濃(にしみの)三人衆を寝返らせた。

藤吉郎の弟 小一郎(秀長)

 

永禄10年8月 信長は美濃を攻略
稲葉山城を落とした。

「岐阜」と名付ける。

「天下布武」

新しき秩序、新しき世、乱世は終わりだ!

滝川一益(たきがわ かずます)
丹羽長秀(にわながひで)
佐久間信盛(さくまのぶもり)

柴田勝家
明智光秀


信長は岐阜で楽市を始める。

岐阜城下では税をかけない。

商人が集い活気に満ち溢れている。

豊かになり、国が大きくなる。


家督を譲る件

官兵衛「私にはまだ早いかと・・。」

父「皆が口をそろえて言うのじゃ。黒田は立派な跡継ぎを持っているとな。。わしもそう思う。。」

父「頼んだぞ」

官兵衛「はい。。」

父「うん。。うん。。」


永禄11年(1568年)7月

足利義昭は信長の招きを受け、越前から岐阜に移った。

信長は義昭に上洛する(京都をめざす)ことを宣言。

 

永禄11年(1568年)9月
信長は上洛の兵をあげた。


<官兵衛紀行>

兵庫県加古川市

志方町

官兵衛の妻、光(てる)の出身。

志方城主・串橋左京之介の娘。

観音寺(志方城跡)

才知と人徳を兼ね備えて信仰心の厚い人物だと伝わる。

十一面観世音菩薩像

櫛橋家の念持仏

志方八幡宮

義父の櫛橋伊定(くしはしこれさだ)は櫛橋家に代々伝わる兜と具足を官兵衛に送った。

「合子形兜(ごうすなりかぶと)」

後に「如水(じょすい)の赤合子(あかごうす)」(如水は官兵衛の号)として畏れられた。

 

「軍師官兵衛」Disc1-第3回「命の使い道」メモ

第3回「命の使い道」

おたつは浦上氏・室津城に嫁いだが、婚礼の日、赤松が攻めた。

御着城主 小寺政職(まさもと)


信長 美濃攻略に苦戦

竹中半兵衛16名で稲葉山城を落とす。

斎藤龍興(さいとうたつおき)を追い出す。

そのあと城を返した。


「怒りはまた喜ぶべく
憤りは悦ぶべきも
亡国はまた存すべからず
死者はまた生くべからず」
ー孫子

一時の怒りや憤りで戦を起こしてはならない。
死んだ者が再び生き返ることもない。


黒田重隆(しげたか)官兵衛の祖父
「黒田家の礎を築き、官兵衛を見守り続けた生涯であった。」


官兵衛は堺へ

浪人 荒木村重(あらきむらしげ)

1565年 永禄の変(えいろくのへん)
第十三代将軍 足利義輝暗殺(公方様)

松永久秀、三好三人衆が謀反。二条御所を襲撃。
その後仲間割れ。京、畿内が戦に。。

南蛮人 ルイスフロイス(ポルトガル)

堺は栄えている。将軍でも大名でもなく、「会合衆(えごうしゅう)」と呼ばれる豪商が力を持つ。

荒木は摂津へ。。

 

会合衆の一人、今井 宗久(いまいそうきゅう)

鉄砲を買い付ける。

織田信長の使いで木下藤吉郎が鉄砲を買いに来た。

藤吉郎「今のこの堺の栄華が戦の道具を売ることによって成り立っているのは何とも因果なものですな・・」

宗久「お武家様にはお分かりいただけないでしょうが、これが堺のあきんどの戦なのです。」

 

官兵衛キリシタンに出会う。

 


 

<官兵衛紀行>

堺 堀をめぐらせた。環濠跡。
会合衆(豪商)が街を治めていた。

戎(えびす)公園 (ザビエル公園)
フランシスコザビエルは布教の許可を得るため堺を拠点にした。

千利休屋敷跡
茶の湯。

級鉄砲鍛冶屋敷。
鉄砲の生産。

妙國寺(みょうこくじ)
信長が堺に来た時の宿。

堺は文化、技術の発信地として栄えた。
戦国の人々の憧れの町だった。

 

 

 

「軍師官兵衛」Disc1-第2回メモ

第2回「忘れえぬ初恋」

永禄4年 1561年
播磨・御着城

父 串橋左京亮(くしはしさきょうのすけ)(小寺のいとこ)
息子 串橋左京進(くしはしさきょうのしん)
田辺

御方様(おかたさま)
小寺政職の正室 お紺

永禄5年 1562年
播磨・龍野城
赤松政秀

赤松が小寺領内に攻め込んだ戦い

官兵衛 初陣

「半ば進み半ば退くは誘い也」孫子

善助(ぜんすけ)


織田信長
美濃・斎藤龍興(たつおき) 稲葉山城 城主
軍師 竹中半兵衛

柴田権六(ごんろく)勝家

十面埋伏の陣(じゅうめんまいふくのじん)

弟・織田信行(のぶゆき)
母・土田御膳(どたごぜん)

木曽川筋・川波宗
蜂須賀小六

小寺と赤松が職隆(もとたか)の尽力で和議。

赤松は西の浦上氏・室津城の攻略を企てていた。

浦上氏から御着城・小寺氏に同盟を求める。

浦上家の室津は海路を制する要地。浦上と小寺が結べば、赤松は追いつめられ戦になる。

 

永禄7年 1564年

輿入れ


<官兵衛紀行>

兵庫県 姫路市 御着城

小寺正元

小寺は播磨の守護、赤松氏の衰退に乗じて勢力拡大。

小寺大明神

御着城址(し)(JR御着 徒歩10分)
山陽道の宿の一つ

発掘
白磁小碗
香炉
囲碁、将棋の駒など

小寺氏が経済力の高い戦国大名であったことが分かる。

御着は官兵衛の青春時代の場所。