T.P(タイムパトロール)ぼん 1巻
1281年(弘安4年)弘安の役 元寇の2回目
(1274年 文永の役 元寇1回目)
前2625年 エジプト 古王国
初のピラミッド ジュセル王
女神ハトホル
歴史、学びメモ
T.P(タイムパトロール)ぼん 1巻
1281年(弘安4年)弘安の役 元寇の2回目
(1274年 文永の役 元寇1回目)
前2625年 エジプト 古王国
初のピラミッド ジュセル王
女神ハトホル
ししょごきょう【四書五経】
儒教で重要な経典として尊重された書物。儒学の中心は、始めは五経だったが、宋代の朱子学が四書を基本においた。
・四書
『大学(だいがく)』
『論語(ろんご)』
『孟子(もうし)』
『中庸(ちゅうよう)』
・五経(ごきょう)
『易経(えききょう)』
『詩経(しきょう)』
『書経(しょきょう)』
『礼記(らいき)』
『春秋(しゅんじゅう)』
・四書
『大学(だいがく)』・・もと『礼記』の中の一編。修身から天下を治めるまでの根本原則。
『中庸(ちゅうよう)』・・もと『礼記』の中の一編。天と人とを結ぶ原理を説いた哲学書。
『論語(ろんご)』・・春秋時代の孔子と弟子たちの言行録。儒家の中心となる経典。
『孟子(もうし)』・・戦国時代の孟子の言行を弟子たちが編纂。性善説を説く思想書。
・五経(ごきょう)
『易経(えききょう)』・・占いの書。陰と陽で自然と人生の法則を説く。
『書経(しょきょう)』・・嶤(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)から周までの王者の言行の記録。
『詩経(しきょう)』・・中国最古の詩集。西周から春秋時代の歌謡。
『礼記(らいき)』・・礼についての解説と理論の書。唐代に五経に加わる。
『春秋(しゅんじゅう)』・・春秋時代の魯国の年代記。編年体での記録。
引用。学研キッズネット
タペストリー。
光る君へ(6)二人の才女 メモ
2024/02/11放送
永観二年(984年)
左大臣・源雅信。倫子。
59代 宇多天皇の血筋。
一の姫(長女)
寛和元年(985年)
倫子サロン。
53. 嘆きつつ 独りぬる夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る / 右大将道綱母
なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる
(訳)あなたが来ないことを嘆きながら一人で寝る夜がどんなに長いか、きっとあなたはご存じないでしょうね。
「蜻蛉日記」作者。
前書き。身分の高い男に愛された女の思い出の記。
「苦手なことを克服するのも大変ですから、苦手は苦手、ということで参りましょうか」
おかしきことこそ めでたけれ
花山天皇
女御(にょうご)よしこ
藤原道隆(長男)邸
高階貴子(たかしなのたかこ/きし)。
藤原 義懐(ふじわらのよしちか)公任、斉信を酒の席に呼ぶ。
道隆はそれに対して漢詩の会を開く。
東宮。懐仁親王(やすひとしんのう)
詮子は左大臣と手を組む。
「私は父が嫌いです。されど父の娘ですゆえ、父に似ております。」
女御は、親王または大臣の姫君。
漢詩の会
道長・右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)
<光る君へ紀行>
「史記」1巻 横山光輝
史記の作者。司馬遷(しばせん)(前145年~前86年頃)
五経・・「易」「書」「詩」「礼(らい)」「春秋(しゅんじゅう)」
武帝は儒学を発展させるため五経博士の官職を置いた。
前漢の七代皇帝・武帝(ぶてい)
司馬遷は武帝により、宮刑(きゅうけい)となり宦官(かんがん)になった。
「太子公書(たいしこうしょ)」=「史記」を書く。
名宰相・管仲
周王朝は2つに分けられる
春秋(前770~前403)
戦国(前403~前221)
春秋時代。
「斉(せい)」・・釣りの太公望、呂尚が始祖。
斉の桓公(かんこう)→ 天下の覇者になった。
名宰相・管仲。
「管鮑の交わり」(かんぽうのまじわり)
管仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく)は親友同士。
管仲「衣食足りて礼節を知る」
民を豊かにして国を豊かにした。
他の国は、魯、燕、晋、宋など。(地図P63)
「晋(しん)」
重耳(ちょうじ)⇒ 晋の文公に
斉は桓公から孝公になったが力は弱まった。
晋は周の武王の子を始祖とする国。
十九代・献公。
側室・驪姫(りき) 子・奚斉(けいせい)
世継ぎ騒動
太子申生(しんせい)は自害。
兄・重耳(ちょうじ)、弟・夷吾(いご)は亡命。
夷吾(いご)が晋の君主に⇒恵公(けいこう)
秦の繆公(ぼくこう)
春秋五覇
斉(せい)の桓公(かんこう)
秦の繆公(ぼくこう)
宋のじょうこう
晋の文公(重耳)
楚の荘王
光る君へ(5)告白 メモ
2024/02/4放送
永観二年(984年)
侍従宰相(じじゅうさいしょう)
式部丞蔵人(しきぶのじょうのくろうど)藤原為時(六位)
・四条の宮
公達4人が話す。
関白:藤原頼忠(よりただ)→息子:藤原公任
左大臣:藤原雅信
右大臣:藤原兼家
大納言:藤原為光(兼家の異母弟)→息子:藤原 斉信(ふじわらのただのぶ)
・藤原行成(ふじわらのゆきなり)
三蹟(さんせき)の1人。
・花山天皇の側近
花山の叔父 藤原 義懐(ふじわらのよしちか)
乳母子(めのとご)藤原 惟成(ふじわらのこれしげ)
・花山天皇の政治
贅沢を禁じ、銅銭を広め、正しい手続きをしていない荘園を没収しようとする。
・荘園整理令
荘園整理令は、1069年・後三条天皇 による延久の荘園整理令が有名だが、それまでにも何度か出されていた。しかし藤原氏の協力が得られなかった。後三条天皇は藤原氏と外戚関係がなかったため実行した。
殿御(とのご):夫
藤原道綱母・寧子(やすこ)『蜻蛉日記』作者
兼家の妾(しょう)
道綱は順番的には次男だが、立場が違う。
<光る君へ紀行>
雅楽。
「光る君へ(4)五節の舞姫」メモ
2024/01/28放送
永観二年(984年)
六位 藤原為時
藤原宣孝(のぶたか)
論語、荀子(じゅんし)、墨子(ぼくし)も人の道を説いている。
円融天皇から花山天皇に譲位。
東宮が懐仁親王(やすひとしんのう)になった。
花山天皇の側近
花山の叔父 藤原 義懐(ふじわらのよしちか)
乳母子(めのとご)藤原 惟成(ふじわらのこれしげ)
公卿・学者:藤原 文範(ふじわらのふみのり)
左大臣:源 雅信(みなもとのまさのぶ)
盤双六(ばんすごろく)
倫子サロン
盗賊
辻(つじ)。みちばた。ちまた。
竹取物語
詮子(あきこ)が怒りの抗議。懐仁親王(やすひとしんのう)を兼家の手から取り戻し、守ろうとする。
984年8月 65代 花山天皇 即位
藤原 斉信(ただのぶ)の妹 藤原 忯子(よしこ)が入内。弘徽殿(こきでん)の女房。
為時が12年ぶりに官職を得た。
まひろ弟:藤原 惟規(ふじわらののぶのり)
史記 秦始皇本記 鹿を指して馬となす
趙高欲為乱、恐群臣不聴、乃先設験、持鹿於二世曰、馬也。二世笑曰、丞相誤邪、謂鹿為馬。問左右。左右或黙、或言馬以阿順趙高。或言鹿者、高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高
趙高乱を為さんと欲し、群臣の聴したがわざるを恐れ、乃すなわち先ず験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、馬なり、と。二世笑いて曰く、丞相誤れるか、鹿を謂いいて馬と為す、と。左右に問う。左右或は黙し、或は馬と言いて以て趙高に阿おもねり従う。或は鹿という者あり、高因よりて陰ひそかに諸もろもろの鹿という者に中あつるに法を以てす。後、群臣皆高を畏る。
(宰相となった)趙高(ちょうこう)は謀反を起こそうと考えいたが、群臣が自分の命令に従わないのではないかと疑い、まず、一計を案じ、試してみることにした。鹿をつれてきて二世皇帝に献上し、(趙高が)「馬でございます」と言うと、二世皇帝は笑って、「宰相はまちがっているのではないか。鹿を指して馬などというとは」といい、左右の群臣に問うた。群臣は、ある者は黙り込み、ある者は馬でございますと言って趙高にごまをすった。中には正直に、鹿だと言った者がいたが、趙高は後でひそかにこれらの者を法律によって罰した。以後、群臣は皆、趙高を恐れた。
花山天皇の政治。
民が銅銭を使いたがらない。長雨、日照り続き、米が実らない。物価高。
⇒布一反を百文、銅一斤(600g)を60文に固定。
凶作に際し、自ら装束や食事を減らし模範を示し、それを万民に述べ伝えるようにと。
五節(ごせち)の舞姫
収穫を祝う大嘗祭(だいじょうさい)のあとの宴、豊明節会(とよあかりのせちえ)で未婚の舞姫が舞をささげる神事(しんじ)。
高御座(たかみくら)。
<光る君へ紀行>
寝殿造り
歴史公園 えさし藤原の郷(岩手県・奥州市)
釣殿(つりどの)
納涼や月見などのために池に面してつくられた建物。
・百人一首はそれまでの勅撰和歌集10冊の中から選ばれている。
※「勅撰(ちょくせん)和歌集」とは、天皇や上皇の命によりまとめられた公式の和歌集のこと。
・飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、約600年の間に歌われた名歌が収められている。
・『古今和歌集』から選ばれた歌が一番多く、24首選ばれている。
平安前期 | 905 | 年 | 古今和歌集 | こきんわかしゅう |
951 | 年 | 後撰和歌集 | ごせんわかしゅう | |
平安中期 | 1005 | 年 | 拾遺和歌集 | しゅういわかしゅう |
1086 | 年 | 後拾遺和歌集 | ごしゅういわかしゅう | |
平安後期 | 1127 | 年 | 金葉和歌集 | きんようわかしゅう |
1151 | 年 | 詩歌和歌集 | しかわかしゅう | |
平安末期 | 1187 | 年 | 千載和歌集 | せんざいわかしゅう |
鎌倉時代 | 1205 | 年 | 新古今和歌集 | しんこきんわかしゅう |
1235 | 年 | 新勅撰和歌集 | しんちょくせんわかしゅう | |
1251 | 年 | 続後撰和歌集 | しょくごせんわかしゅう |
古今和歌集 | 24 | 首 | 60 | 代 | 醍醐天皇 | 優雅で繊細な歌が多い |
後撰和歌集 | 7 | 首 | 62 | 代 | 村上天皇 | 贈答歌が多い |
拾遺和歌集 | 11 | 首 | 65 | 代 | 花山院(編) | 恋の歌が多い |
後拾遺和歌集 | 14 | 首 | 72 | 代 | 白河天皇 | 女流歌人の歌が多い |
金葉和歌集 | 5 | 首 | 72 | 代 | 白川院 | 写実的な歌が多い |
詩歌和歌集 | 5 | 首 | 75 | 代 | 崇徳院 | 古い歌と新しい歌がある |
千載和歌集 | 14 | 首 | 77 | 代 | 後白河院 | 同時代の歌人の歌が多い |
新古今和歌集 | 14 | 首 | 82 | 代 | 後鳥羽院 | 美しく絵画的な歌が多い |
新勅撰和歌集 | 4 | 首 | 86 | 代 | 後堀河天皇 | 幕府の歌人の歌が多い |
続後撰和歌集 | 2 | 首 | 88 | 代 | 後嵯峨院 | 優雅で絵画的な歌が多い |
■七殿(しちでん)
弘徽殿(こきでん)
承香殿(じょうきょう/しょうきょうでん)
麗景殿(れいけんでん)
登華殿(とうかでん)
貞観殿(じょうがんでん)
宣耀殿(せんようでん)
常寧殿(じょうねいでん)五節舞姫の帳台試が行われる。五節殿ともいう
■五舎(ごしゃ)
飛香舎(ひぎょうしゃ)(藤壺/ふじつぼ)
凝花舎(ぎょうかしゃ)(梅壺/うめつぼ) 藤原詮子
昭陽舎(しょうようしゃ)(梨壺/なしつぼ)梨壺の五人
淑景舎(しげいしゃ)(桐壺/きりつぼ)
襲芳舎(しゅうほうしゃ)(雷鳴壺/かんなりのつぼ)
後宮。七殿五舎(しちでんごしゃ):平安京内裏の紫宸殿(ししんでん)や仁寿殿(じじゅうでん)の後方に位置し、主に天皇の后妃(こうひ)の住まう殿舎(でんしゃ)を指す。
これらは後宮(こうきゅう)と総称され、后妃以外にも東宮やその妃、また親王・内親王などもしばしば殿舎を賜った。
七殿は内裏創建時から存在し、五舎よりも格が上であるとされる。
諸子百家 ( しょしひゃっか ) とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。
「諸子」は孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子などの人物を指す。
孔子(こうし):「論語」弟子がまとめた。儒家の始祖。
孟子(もうし):性善説
荀子(じゅんし):性悪説
老子(ろうし):道教の祖。
荘子(そうし):老子の思想を発展させる。「胡蝶の夢」
韓非子(かんぴし):法治思想
孫子(そんし):孫武の尊称。
「史記」司馬遷(しばせん)
「光る君へ」登場人物と百人一首
・紫式部(むらさきしきぶ)
57. めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな
・清少納言(せいしょうなごん)
62. 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ
・儀同三司母(ぎどうさんしのはは)/ 高階貴子(たかしなのたかこ)
54. 忘れじの行く末まではかたければ 今日を限りの命ともがな
・大納言公任(だいなごんきんとう)/ 藤原公任
55. 滝の音は耐えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
・赤染衛門(あかぞめえもん)
59. やすらはで寝なましものを小夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな
・右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)/藤原寧子(ふじわらのやすこ)
53. 嘆きつつ独りぬる夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る