【32】世界分割と列強の対立
(1)アフリカ分割の始まり
(2)英のアフリカ進出
(3)仏のアフリカ進出
(4)独・伊のアフリカ進出
(5)欧米の太平洋地域進出
(6)ラテンアメリカ・メキシコの動向
(7)列強の二極化。三国同盟VS三国協商
ポイント①アフリカってどんなところ?
「暗黒大陸」の悲惨な歴史と探検家の活動
「暗黒大陸」
奴隷の獲得⇒資源の獲得
プランテーションの労働力。
商品作物。サトウキビ、タバコ、綿花
・大西洋三角貿易(16~18C)
黒人奴隷貿易
1.西欧⇒西アフリカ(武器)
2.西アフリカ⇒米大陸(奴隷)黒人2000万人ほど
3.米大陸⇒西欧(商品作物)
・奴隷制度の廃止(19C)
奴隷以外にアフリカには何がある・・?
↓↓
2人の探検家
[1]リヴィングストン(英・宣教使)
ナイル川の水源調査。消息不明。
↑↑(救出)
[2]スタンリー(英生まれ米)
リヴィングストンの救出に成功。
→コンゴ(アフリカの真ん中)探検。(ベルギー王が支援)。
→ベルギー王がコンゴの領有を宣言
→欧の反発。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②アフリカをもらうなら「早い者勝ち」!?
ヨーロッパ国際会議で決定した驚きの事実とは・・
・ベルリン会議(1884~85)
(※「ベルリン会議」は2つある。1つ目は19Cロシア南下⇒ロシア=トルコ戦争のあと。ビスマルク調停(1878))
今回もビスマルク主催。
・先占権(せんせいけん)(早い者勝ち)⇒アフリカ分割に拍車をかける。
・コンゴ自由国⇒ベルギーの支配下に。
(2)英のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部への進出
何があってもエジプトとスーダンだけは他国に渡せない!
<英の縦断政策(アフリカ北部)>
スエズ運河ができたことで、英のアフリカ進出が始まる。
スエズ運河沿いの2つの国、エジプト(北)・スーダン(南)が欲しい。安全性を確保したい。
<英がエジプトに進出>
・ウラービー運動(1879~82)
陸軍大臣アフマド・ウラービー「エジプト人のためのエジプト」。→鎮圧される→エジプトは英の保護国化に。
<英がスーダンに進出>
・マフディーの反乱(1881~98)17年
マフディー=「救世主」の意味。
ムハンマド・アフマド。
総督ゴードン戦死。
(↑ 清の太平天国の乱を鎮圧した常勝軍。)
↓↓
・ファショダ事件(1898)
✕仏 VS 英〇
スーダンのファショダという地で対峙(にらみ合い)。
・英の3C政策
ケープタウン(南ア)、カイロ(エ・埃)、カルカッタ(印)。
インドへの道を盤石なものにしたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②金とダイヤモンドをめぐる南アフリカ戦争
ブール人国家との戦争
<英アフリカ縦断政策(南アフリカ)>
・ケープ植民地(中心ケープタウン)南ア
元々オランダ領だったが、ナポレオンなきあと欧の国際秩序のためのウィーン会議(1814)で蘭領から→英領となる。
(→オランダの人は北へ移動し、トランスヴァール共和国を建国。ブール人と呼ばれる。)
・セシル・ローズ
英領有の南ア・ケープ植民地の首相。元企業家。金・ダイヤモンド鉱山を発見!
金が見つかったのは隣の、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国。(英領ではない。ケープ植民地の北東)。ブール人(=オランダ人)の国。→大義名分などない、金とダイヤの争奪。
↓↓
・南アフリカ戦争(1899)
英本国から派遣⇒植民相ジョゼフ=チェンバレン
全植民地統括の大臣が来る。40万人以上の兵。
〇英 VS 蘭✕
↓↓
・南アフリカ連邦(自治領)
(ケープ植民地と、トランヴァール、オレンジを併合)
白人を優遇。白人優位の人種差別が芽生える。黒人と白人の対立を作ることで英本国への恨みをそらす。
(3)仏のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部から東西へと拡大
イギリスのアフリカ縦断政策と衝突した結果・・
<仏アフリカ横断政策>
モロッコ・アルジェリア・チュニジア
サハラ砂漠・ジブチ・マダガスカル
・アルジェリア出兵。植民地化(19C前)
(ウィーン会議で絶対王政に戻り、仏ブルボン朝が復活。王シャルル10世。国民の不満を外へ向けた)
アルジェリアを起点に東西に拡大。
・チュニジア保護国化(1881)(アルジェリアの東横)
仏と伊と関係悪化⇒独ビスマルクは見逃さない。翌年・三国同盟(独・オーストリア・伊)(1882)
・ジブチに港を建設。(紅海の一番下)
紅海からインド洋への出口。
マダガスカル(アフリカ南東の島)
サハラ砂漠(アフリカ西)
・ファショダ事件(1898)
スーダンのファショダで対峙。英〇 VS ✕仏
(仏が譲った理由)仏は独とけんか状態。英ともけんかすると敵が増えてしまう・・。仏は英に譲る。
↓↓
英仏の関係が良くなる。
↓↓
・英仏協商(1904)
英はエジプト取るから仏はモロッコ行きなよ。相互承認。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②モロッコをめぐるドイツとの対立
2度にわたって衝突!イギリスが取った行動は?
・モロッコの領有問題
モロッコを押さえると、英のインド進出を邪魔できるので、独が狙っていた。
・第1次モロッコ事件(タンジール事件)(1905)
モロッコをめぐって、仏 VS 独 対立。独皇帝ヴィルヘルム2世がモロッコのタンジール港に入ってきた。仏出ていけ。
→英援助 〇仏 VS ✕ 独
(タンジールはイブン・バットゥータの生まれ故郷。スペインの向かい・ジブラルタル海峡のアフリカ側)
・第2次モロッコ事件(アガディール事件)(1911)
また独はモロッコ・アガディール港に入る。
英援助 〇仏 VS ✕ 独
・仏モロッコ保護国化(1912)
ポイント①ドイツ・イタリアのアフリカ進出
イギリス・フランスに遅れを取って進出開始
<独>
・カメルーン(西)、東アフリカ植民地(現タンザニアなど/マダガスカル島の対面北)
<伊>
・イタリア軍がエチオピアに侵入
エチオピア〇勝利! VS ✕伊
イタリア敗北!
イタリア「このままではアフリカに植民地を持てない・・」と焦る
↓↓
・イタリア=トルコ戦争
オスマントルコとの戦争でリビア(アフリカ北)を獲得。
・ソマリランド(アフリカの角/つの)獲得。
北から英仏伊で分けた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦開始まで独立を保持した2つの国
独立を維持できた要因は?
・独立を保持した2つの国
[1]エチオピア帝国(東)
伊をアドワで撃退。優秀な君主。仏の軍事支援もあった。
[2]リベリア共和国(西アフリカの海岸線)
アフリカ最初の共和国。アメリカで解放された黒人たちがアフリカに帰ってきて作った国。国名はLibertyリバティ(自由)から。 →主権国家として認められていたので欧は手を出せなかった。
ポイント①オセアニアってどういうところ?
2人の探検家に注目!
・オセアニア・・オーストラリア、ニュージーランド、太平洋に浮かぶ島々の辺り。
2人の探検家
[1]タスマン(17Cオランダ人)タスマニア・ニュージーランドに到達。オーストラリア大陸。
[2]クック(18Cイギリス人)タヒチ、NZ、オーストラリアを探検。オーストラリアやNZを英の所有と宣言。(侵入者と勘違いされハワイで島民に殺害される。)
↓↓
・オーストラリア
先住民:アボリジニー
1850年代 金鉱の発見。英本国やアジア各地から移民が増える。
→英の自治領に。オーストラリア連邦
・ニュージーランド
先住民:マオリ人
→英の自治領に。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②太平洋に浮かぶ島々も欧米諸国の領土に!?
オセアニア諸地域の分割へ
・列強諸国の南洋諸島(太平洋の島々)進出
・ニューギニア
西部:オランダ|東部:英・独
・英領・・ソロモン諸島(独と分割)、フィジー、トンガ
・仏領・・ニューカレドニア、タヒチ
・独領・・ビスマルク諸島、マリアナ諸島、マーシャル諸島
・米領・・フィリピン、グアム島、ハワイ
(6)ラテンアメリカの従属化
ポイント①メキシコの内乱とフランスの干渉
初の先住民出身の大統領の苦悩
<ラテンアメリカ>
19C前半に多くの国が独立を達成。ベネズエラ、コロンビア、ボリビア、エクアドル(シモン・ボリバル)。ペルー、アルゼンチン、チリ(サン・マルティン)。ブラジル
→独立したものの、英の経済的従属下に置かれる。メキシコだけは例外!
<メキシコ>
フアレス〇→ディアス✕→メキシコ革命・マデロ△→サパタ・ビリャ→憲法
フアレス大統領(先住民インディオ出身)
・自由主義革命(インディオの権利獲得など)
↓↓ 保守派が抵抗。
・メキシコ内乱(1861~67)
この内乱に仏ナポレオン3世がちょっかいを出してくる。(仏メキシコ出兵)→が、フアレスはナポ3を追い出す。米も抗議。良い改革、国作りへ・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②メキシコ革命の勃発!
近代化を成し遂げられるのか!?
フアレスのあと・・
・ディアス大統領
独裁政治。地主階級の特権を復活させてしまう。(先住民切り捨て)。
英、米から莫大な借金。頭が上がらない状態に・・。
↓↓ メキシコが食い物にされる!
・メキシコ革命(1910~17)
マデロ大統領が、ディアスを打倒し自由主義的改革をしたが、土地の改革には消極的だった。地主の権利を守ったまま。。
↓↓
・サパタ・ビリャ(農民の代表)の蜂起。マデロ失脚。サパタ・ビリャも暗殺される・・。
↓↓
・憲法制定(1917)
土地改革、地下資源の国有化。民主的。→しかし憲法はうまく機能せず。米、英の従属から逃れられなかった。
ポイント①ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の無謀な政策
第2次産業革命で自信をつけた皇帝の海外進出策
・独皇帝ヴィルヘルム2世(任1888~1918)
第2次産業革命で世界2位になり自信が付く→英を越えるぞ!ドイツも外へ出て行くんだ!
・元々、普仏戦争で、独は仏と対立している。
↓↓
(さらに新たな敵)
・海軍大拡張により⇒英と対立。
・パン=ゲルマン主義で⇒ロシアと対立。
3B政策。ベルリン・ビザンティウム・バグダード。ペルシア湾から海へ出ようと考えた。
↓↓
独と英・露・仏が対立関係に。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生
三国同盟と三国協商の対立
<ビスマルク時代>
・三国同盟(独・オーストリア・伊)1880 軍事同盟
+
・再保障条約(お互い攻めない)ロシアと独
・英「光栄ある孤立」
↓↓
ライバル仏を孤立させることに成功。
<ヴィルヘルム2世時代>
独がロシアの手を離したことから、国際関係が変わっていく。。
・独はロシアとの再保障条約を拒否!(1890)
「オーストリアと一緒にバルカン半島に行くんだ」
ロシアと独の手が離れた・・!これを仏は見逃さない!キラリ✨
↓↓
・露仏同盟(1891)
仏がロシアに接近。手を組む。仏が露に資金提供⇒露産業革命に成功。
・英は独の海軍拡大に焦りを感じ始める。「光栄ある孤立」をついに解く。
↓↓
・日英同盟(1902)
東アジアの防衛に日本の軍事力を当てにした。
英のドアが開いた!ここで仏は英にも近づく!
↓↓
・英仏協商(1904)
独嫌いだよねーでくっつく。
↓↓
・英露協商(1907)
日露戦争が終わってロシアはバルカン半島に戻ってこようとする。また独と対立する。ロシアは英に接近する形を取った。
↓↓
三国協商(英・仏・露)VS 三国同盟(独・墺・伊)になる。
↓↓
第一次世界大戦へ
・次【33】帝国主義と東アジア