【33】帝国主義と東アジア
(1)中国分割と近代化運動の行方
(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
(3)朝鮮の行く末と清末の改革
(4)辛亥革命
・義和団事件1900→8カ国共同出兵→北京議定書1901
・日露戦争1904→ポーツマス条約1905
(1)中国分割と近代化運動の行方
ポイント①日本に負けた!?植民地化がさらに加速!
日清戦争後の中国の状況は?
<中国分割>
・借款(しゃっかん)を行う=「借金」のこと
日清戦争への賠償金を払うために欧から借りる。担保として鉄道敷設(ふせつ)権や鉱山採掘権を奪われる。
・租借(そしゃく)・・他国の領土の一部を条約によって借りること(事実上の領土割譲)(ジャイアン・・。一生借りてるだけだぞ。)
米は米西戦争(1898)で中国に構ってるひまがなかった。出遅れて焦った
↓↓
・門戸開放宣言
門戸開放・機会均等・領土保全(米も入れてくれ)
米・国務長官ジョン・ヘイ
| <租借地>借りると言いつつ、ほぼ領土割譲 | |
| 独 | 膠州湾(こうしゅうわん) |
| 露 | 遼東(りょうとう)半島南部。旅順(りょじゅん)・大連(だいれん) |
| 英 | 威海衛(いかいえい)、九竜半島(クーロン/きゅうりゅう) |
| 仏 | 広州湾(こうしゅうわん) |
| 日 | 遼東半島南部(旅順・大連)(※日露戦争で日本に移る) |
| <勢力圏>影響力を持っていた地域 | 鉄道敷設権 | |
| 独 | 山東省(さんとうしょう) | |
| 露 | 満州・モンゴル | 東清鉄道 |
| 英 | 長江流域 | |
| 仏 | 広東・広西・雲南省 | |
| 日 | 福建省 | 南満州鉄道 |
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②日本にならって近代化を!
中国で芽生えた本格的な近代化運動
<変法運動>
日清戦争に負けた中国はショック!
↓↓
近代化運動へ・・(皇帝中心)
・11代 光緒帝(こうしょ/ちょてい)(位1875~1908)
康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう) などの、官僚らが日本の明治維新を模範にする。公羊学(くようがく)派。
憲法を立てて、皇帝を立てる=立憲君主制をめざした。(皇帝が好き勝手に政治をするのではなく、憲法やルールにのっとって政治をする。)
・戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)
立憲君主制をめざし憲法制定に動いたが・・
↑↑(弾圧)
・戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)(1898)
西太后(せいたいこう)など保守派が改革を弾圧。改革は失敗に終わる。光緒帝は幽閉状態へ・・。
(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
ポイント①外国勢力は出ていけ!中国で起きた排外運動
義和団事件とその結果は・・
「外国勢力、全員出ていけ!」
・仇教運動(きゅうきょううんどう)
反キリスト教(反ヨーロッパ)運動
・義和団事件(白蓮教系の宗教結社)(北清事変)(1900~1901)
「扶清滅洋(ふしんめつよう)」・・清を助けて、欧を追い出そう。
排外主義
ドイツ人宣教師が殺害✕→ドイツが山東へ進出。武力鎮圧。
↓↓
清は「こいつら使える・・」と、この義和団を使って欧を追い出そうとした。
↓↓
義和団が北京占領。独公使、日公使を襲う。
清「欧米日かかってこいやー!」西欧列強に宣戦布告。(西太后)
↓↓
8カ国共同出兵
「ほな、やったろかい」英仏独米露日伊墺。そうそうたるメンバー集結。
↓↓
清・義和団敗れる。北京が占領される。
↓↓
北京議定書(1901)
・巨額の賠償金。
・北京駐兵権(軍事占領)⇒中国は半植民地化になる・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②日本とロシアの狙った場所が同じ!?
日露戦争へとつながる両国の帝国主義政策とは・・
<ロシアの中国東北進出>
義和団事件のあと、日本とロシアの仲が急速に悪化・・。
・ロシアの満州占領
義和団事件が終わったのに、ロシアは満州から軍をひかない。中国東北地方や朝鮮半島まで狙ってる・・?(『はいからさんが通る』)
※朝鮮は日清戦争1894で独立し、国名を大韓帝国(だいかんていこく)に。清の影響から抜けた独立国とアピール。日本が狙っていた。
日とロシアが満州・大韓帝国の取り合い。
↓↓
・日露戦争(1904~1905)
日本の攻撃で始まる。
日本海海戦で日が勝つ。
ロシアの海軍バルチック艦隊を破る。
↓↓ そんな中、、ロシア国内で
・第1次ロシア革命
ロシアは革命で戦争をやめたい。日本もお金が厳しい。
↓↓
米・セオドア・ローズヴェルト大統領が仲介。
↓↓
・ポーツマス条約(1905)(米)
→中国東北(満州)・大韓帝国(朝鮮)を日本が得る
・大韓帝国の指導・監督権を日本が得る。
・ロシアは中国東北から撤退。遼東半島南部の租借権をロシアから日本に渡す。(⇒関東州と呼ぶようになる。)(※遼東半島は日清戦争で日本が取得したが三国干渉で返したところ。ここを再度取り返した。)
・遼東半島に接続する南満州鉄道の敷設権(ふせつけん)、周りの利権を日本が得る。
・南樺太をロシア→日本に渡す。
(3)朝鮮の行く末と清末の改革
ポイント①日本の朝鮮支配完成
日露戦争後の日本の挑戦支配の動向
・日韓協約(1904~07)
(第1次は日露戦争のさなか。)
・第2次日韓協約(1905)
韓国の保護国化→外交権を朝鮮から奪う。
初代統監:伊藤博文(いとうひろぶみ)
↓↓
反日義兵闘争の激化
・ハーグ密使事件(1907)
高宗が第2回万国平和会議(オランダ)に密使を派遣。日本が不当な支配をしていると訴えた⇒失敗
↓↓
・第3次日韓協約(1907)
韓国は内政権を喪失。
↓↓
・伊藤博文暗殺(1909)
ハルビン駅で安重根(あんじゅうこん)に暗殺される。(韓国の切手にもなっている。)
↓↓ 日本は強硬手段に出る
・韓国併合(1910)
韓国という国は消え、日本領土に組み込まれた。
朝鮮総督府が設置。(天皇直属機関)
軍事・行政を統括していく。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②清朝末期の最期の「あがき」とは?
光緒新政の「本音」と「建て前」
義和団事件のあと・・
<清末の改革>
光緒新政(こうしょしんせい)・・国内改革
(戊戌の政変で光緒帝は捕らえられている)
・新軍の整備(西洋式軍隊)
・科挙の廃止(隋から続く)→北京大学創設(官僚育成)
・憲法大綱(たいこう)の発布。
日本の明治憲法を模範(強力な君主権)
・国会開設公約
「日本の大日本帝国憲法は、天皇大権(たいけん)という強い権力がある。」
↓↓
「建前は国内改革と言ってるが、本音は皇帝や貴族のためでは・・?日本をモデルにすると皇帝の力が強いままになるのではないか。。」
↓↓
「それならもう満州人を追い出して、皇帝も追い出して、自分たち民衆のための漢民族の国を作りたい。」
↓↓
革命派の台頭
・留学生が中心。
・華僑が資金を出す。
革命派のリーダー
孫文
興中会の結成。
↓↓
他の革命団体も一緒に団結しよう。
中国同盟会の結成(1905)
東京で結成。日露戦争に刺激を受けた。機関誌『民報』
(中国同盟会の理念)
三民主義
・民族の独立(漢民族の独立)
・民権の伸長(一般民衆の権利を認めよう)
・民生の安定(人々の生活の安定)
(4)辛亥革命
ポイント①皇帝政治を終わらせ、民に力を!
中国2000年の皇帝政治の終焉
・辛亥革命(1911~12)
(きっかけ)清が幹線鉄道の国有化を宣言。
これを担保に外国からお金を借りようとした。そんなことをしたらさらに中国の植民地化が進む・・。
↓↓
・四川暴動
市民が四川省で暴動。清は軍隊を派遣したが、その軍が清を裏切った。
↓↓
・武昌蜂起(1911)
湖北省の湖北新軍の革命派が武昌で蜂起。色んな省でも独立を宣言。
↓↓ これら各省の代表者が集まり合体した。
・中華民国建国(1912)
臨時大総統:孫文
都:南京
(黃河、長江沿岸あたり)
↓↓
清はまだ北に残ってる。清は中華民国をつぶそうとしている。
↓↓
清の大臣、袁世凱(えんせいがい)が孫文と取引を行い、清を裏切る。「その代わり私を中華民国のリーダーにしてください」
→「中華民国の軍は整っていない。戦っても清の軍に負けるだろう・・。」孫文は受け入れる。
→清の最後の皇帝・12代宣統帝(溥儀)が退位(1912)(ラストエンペラー)
清が滅亡(277年の歴史)。2000年の皇帝政治が終わる・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②新生!中華民国の抱えた苦悩
皇帝政治が終わっても民が虐げられる時代へ・・
中華民国
臨時大総統:孫文→袁世凱が就任(1912)
首都:南京⇒北京へ移す。(袁世凱の本拠地)
民衆のためではなく独裁色を強める。
↓↓
袁世凱の暴走を防ぐべく国民党の結成。
中国同盟会が中心。
↓↓
・第二革命(1913)
〇袁世凱の独裁 VS ✕国民党(→解散させられた)
正式な大総統に就任。袁世凱は皇帝になろうとした。
↓↓
・第三革命(1915)
✕袁世凱帝政 VS 〇国内の軍部(袁世凱の元部下)、革命派、日本、欧。
↓↓
袁世凱は帝政取り消し。数ヶ月後、病死・・。その後も民主政治にはならず軍部が力を握る。
↓↓
・軍閥(軍事政権)の割拠。
軍部が力を持ち抗争する。北京政府の実権をめぐって争う。
<<前 【32】世界分割と列強の対立
【33】TOP(当ページ)
>>次 【34】帝国主義とアジアの民族運動