【36】ヴェルサイユ体制とワシントン体制 – 歴史note

【36】ヴェルサイユ体制とワシントン体制

【36】ヴェルサイユ体制とワシントン体制
パリ講和会議(1919)/ ヴェルサイユ条約(1919)/ 国際連盟
ワシントン会議(1921~2)/ ロンドン軍縮会議(1930)
(1) 敗戦国ドイツの処分
(2) 敗戦国の処理
(3) 戦後の国際秩序の維持
(4) 国際協調主義にむけて


(1)敗戦国ドイツの処分
ポイント①第一次世界大戦後の国際秩序を決めよう!
紛糾する講和会議とその議題に注目

パリ講和会議(1919)
・戦勝国(連合国)のみ参加。敗戦国とソヴィエト=ロシアは招かれず。(←周りの国々が警戒)
・ウッドロー=ウィルソン(米)十四カ条の平和原則
・ロイド=ジョージ(英)英の地位の復帰
・クレマンソー(仏)独に厳しい制裁をすべき

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ポイント②ドイツに徹底した復讐を!
敗戦国ドイツに課された過酷な条件・・・

ヴェルサイユ条約(1919)>独に付きつけられた条件
・海外植民地は全て喪失。
アルザス・ロレーヌ(独仏国境。地下資源豊富)をに割譲。(普仏戦争1870で仏→独領に。それを返還した)
・ポーランド回廊をポーランドへ割譲。
・国際連盟の管理下に・・ザール地方、ダンツィヒ
ラインラント非武装・・ライン川流域。独仏の国境線。
軍備制限・・空軍✕、潜水艦✕、徴兵制禁止など。
・巨額の賠償金・・未決定(後に1320億金マルク/約200兆円と決定)
国際連盟の発足


(2)敗戦国の処理
ポイント①ドイツ以外の敗戦国の処分
戦勝国の思惑が反映された講和条約・・

<独以外の敗戦国との講和条約>
(連合国と各国が結んだ条約)
サン・ジェルマン条約・・対オーストリア
トリアノン条約・・対ハンガリー
(※オーストリア=ハンガリー帝国は切り離された。)
ヌイイ条約・・対ブルガリア
セーヴル条約・・対トルコ(オスマン帝国)

東欧諸国の独立
・バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)
・ポーランド
・フィンランド
・ハンガリー
・チェコスロバキア
・セルブ=クロアート=スロヴェーン王国→ユーゴスラビア

※ウィルソン十四カ条の「民族自決」は東欧にだけ適用。ソ連との壁・ブロックとして独立を認めた。アジア、アフリカには適用されず。

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ポイント②第一次世界大戦後の西アジア情勢
21世紀まで続く中東問題の火種はここにある!

第一次世界大戦後の西アジア情勢(旧オスマン帝国領)

アラビア独立
・ヒジャーズ王国(アラビア半島の西)
メッカの首長:フセインが建国(フセイン=マクマホン協定)

英に協力したらアラブ人国家を作っていいよと英は言ったので、フセインはヒジャーズ王国を作った。
↓↓
しかし英は自分たちと仲がいいイブン・サウード(サウード家)を使って攻撃。
↓↓
サウジアラビア王国の成立。(=サウード家のアラビア)

<アラビア半島の北部(旧オスマン帝国領)>
委任統治
国際連盟が預かる。英仏が統治。
の管理・・イラク、パレスチナ、トランスヨルダン
の管理・・シリア、レバノン
レバ・シリア
パレ・ヨル・イラク
英仏が民族や宗派に関係なく勝手に国境線を引いてしまったので、今でも民族紛争が絶えない・・。


(3)戦後の国際秩序の維持
ポイント①世界初の集団安全保障!
国際連盟の発足とその問題点

・国際連盟(1920)・・世界初の集団安全保障組織
本部:ジュネーヴ(スイス)
最高議決機関:総会
(理事会)
常任理事国・・英・仏・伊・日
非常任理事国 総会で選出された4カ国

・国際労働機関(ILO)
労働問題の調整機関。(社会主義革命を阻止するため)

(国際連盟の問題点)
・提唱国のアメリカ不参加
脱退・参加の自由
全会一致の原則(各国の利害関係で機能せず・・)
制裁規定の欠落
↓↓
だから第二次世界大戦を防ぐことができなかった・・。

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ポイント②東アジアの国際秩序を形成せよ!
アメリカ主導で動く戦後の国際秩序とは?

東アジアの国際秩序
・ワシントン会議(1921~22)
(本心:米が日本の成長に警戒。抑制したい。。)
米ハーディング大統領が開催

四カ国(しかこく/よんかこく)条約
太平洋地域の領土と権益の相互尊重→日英同盟解消

九カ国条約
中国の主権、独立の尊重。→二十一カ条要求の失効。

ワシントン海軍軍備制限条約
主力艦の保有比率
米:英:日:仏:伊=5:5:3:1. 67:1. 67
世界で軍縮(軍備縮小)の動きへ・・


(4) 国際協調主義にむけて
ポイント①ヨーロッパは皆で仲良く!?
第一次世界大戦を反省したヨーロッパ諸国の動き

国際協調主義(みんなで仲良くお互い尊重しよう)

ロカルノ条約(1925)
西ヨーロッパの安全保障。
ドイツ外相:シュトレーゼマン(戦後ドイツの立て直し)
→独の国際連盟加入(1926)

不戦条約(1928)(60カ国)
米国務長官:ケロッグ
仏外相:ブリアン
「国際紛争の解決は武力によらない」
(戦争放棄)(←日本国憲法にも反映される)

ロンドン軍縮会議(1930)
補助艦の保有比率
米:英:日=10:10:7弱(←日本の海軍の反発を招いた)

(コミック『アルキメデスの大戦』)

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ポイント②払えるワケがない!ドイツを苦しめたお金のトラブル
第一次世界大戦後のドイツ賠償問題の行方

賠償問題

ヴェルサイユ条約
ドイツの賠償を規定→1320億金マルクに

独が払えない。

↓↓ 仏が怒る。「金がないならモノで払え」

ルール占領(1923)仏とベルギー
が独の工業地帯ルール地方を占領
独は消極的抵抗。生産停止→物価高インフレーション激化
↓↓
ドーズ案
が独にお金を貸す。⇒独は英・仏に賠償金を支払う。⇒英仏は復興に。米に借金を返す。
これで仏もルールから撤兵。

・ヤング案
賠償金の減額。
↓↓
しかし「世界恐慌」で米に余裕がなくなった・・
↓↓
フーヴァー=モラトリアム
ドーズ案を1年停止。かえって独英仏が苦しくなる。。経済圧迫。

 


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