【20】主権国家体制と西欧絶対王政 – 歴史note

【20】主権国家体制と西欧絶対王政

【20】主権国家体制と西欧絶対王政
(1)絶対王政の特徴
(2)スペイン・オランダ
(3)イギリス・フランス
(4)フランスのルイ14世の時代
(5)第2次英仏百年戦争


(1)絶対王政の特徴
ポイント①一番大事なことは自国の損か得か
主権国家の概念を確認

主権国家体制
明確な領域(国土)を有し、確立した主権が存在する国家。主権は国内では最高権力としての性格を、対外的には独立性を持つ。

(主権国家の争いの初めての例)
→イタリア戦争(1494~1559)
仏と神聖ローマがイタリアをめぐって抗争。
仏と独の仲はとても悪くなる・・。

宗教とは無関係に国際的なつながりが持たれる。
仏(キリスト教)ーオスマン帝国(イスラーム教)
神聖ローマ帝国(カトリック)ーイギリス(プロテスタント)
=宗教・宗派が違っていても、国の損得で結びつく。

カトー=カンブレジ条約(1559)で和議

ポイント②絶対王政の構造を確認しよう
絶対王政を行うために必要なこと

絶対王政の基盤(16~18C)
官僚制・・(封建)貴族。国王の補佐。
→言うことを聞いてもらうために高い給料。→お金がかかる
常備軍・・国王の軍。→お金がかかる
王権神授説・・王の権力は神から授かった。国王権を正当化。

(経済基盤)
重商主義・・国家財政を富ませる政策
・重金主義(16C)・・海外植民地から金・銀を奪う
・貿易差額主義(17C~)・・輸出を増やし、輸入をおさえて儲ける
→工場制手工業(マニュファクチャ)
分業による協業

封建貴族が官僚として国王の政治を補佐。


(2)スペイン・オランダ
ポイント①スペインは「たまたま」絶対王政を完成できた!?
新大陸からの莫大な富だけがスペインを支えた

<スペイン>
カルロス1世(位1516~1556)(西・独)
(=神聖ローマ皇帝 カール5世 位1519~1556)

カルロス1世は父フィリップ(ハプスブルグ家)と、母フアナ(西王家)の子。(フアナはフェルナンドとイサベルとの娘。)

・カルロス1世の時から、スペイン=ハプスブルグ家が成立。

・広大な領土を支配
スペイン、ネーデルラント、オーストリア、シチリア、ナポリ、ミラノ、フィリピン、アメリカ大陸(ポトシ銀山)

スペイン絶対王政の完成

フェリペ2世(位1556~1598)(西・葡)
・ポトシ銀山からの大量の銀→絶対王政の基盤に
(たまたま転がりこんだ富)

カトリック政策を強化
– 英王メアリ1世と結婚。英をカトリックに。
– ネーデルラント植民地に旧教を強制→オランダ独立戦争を招く

レパントの海戦(1571)
〇スペイン・教皇・ヴェネツィア
VS
✕オスマン帝国

1538 ひっこみやプレヴェザ

1571 ひっこまないレパント

マニラの建設(1571)
フィリピン経営の本格化

ポルトガル併合(1580~1640)60年間
母がポルトガル王家出身。王位がとだえ、フェリペ2世がそのまま王位継承。ポルトガルの持つアジア植民地をスペイン領にした。

スペイン・・「太陽の沈まぬ国」

無敵艦隊(アルマダ=スペイン海軍)英に敗北(1588)
アメリカ大陸へ行く道がとだえる。

銀も取り尽くし、スペイン絶対王政は終了・・。
(国内の産業や経済を育てなかった。。)

 

ポイント②17世紀はオランダの世紀!?
海上交易で世界へと進出する「小国」の勇姿

<オランダ>

スペイン(フェリペ2世時)から独立したオランダ
オランダの発展
(首都:アムステルダム

アジア貿易への参入
※アジアはポルトガルが先に開拓していたが、フェリペ2世時にポルトガルはスペインに吸収された。今、船は行っていないからチャンス!

オランダ東インド会社の設立

・ジャワ島にバタヴィア(現ジャカルタ)を建設
総督府の設置。香辛料貿易の独占を狙う。

(ルート)
オランダ→アフリカ南→インド→東南アジア
そのため各地に拠点を作る

台湾を占領
日本、中国との通商の拠点

ケープ植民地建設
アフリカ最南部の植民地

アンボイナ(アンボン)事件(1623)蘭〇 VS ✕英
モルッカ諸島。オランダがイギリス商館員らを虐殺。オランダがこの頃出てきたライバルのイギリスを東南アジアから追い出す。→英はしぶしぶインドに行く。インドに行くきっかけとなった。

北米にも進出
オランダ西インド会社の設立(ヨーロッパから見て米は西)

ニューネーデルラント植民地を作る
中心地:ニューアムステルダム(現ニューヨーク)の町の建設

→交易の拠点に拠点を作りなら、アジア、アメリカへ進出。世界はオランダの船であふれていた。

 


(3)イギリス・フランス
ポイント①イギリスの絶対王政は他の国とは大違い!
伝統的な議会の存在と国王権力とのバランス

<イギリス>
英王(命令)→(中央)議会(模範議会)立法や税徴収など
英王(命令)→(地方)ジェントリ
※英王は議会やジェントリとうまく付き合う必要がある

ジェントリ郷紳・きょうしん)
貴族と平民の中間。地主。
治安判事など地方行政を担う。
ジェントリは無給(ボランティア)なので
工場経営などで生計を立てる。
↓↓
毛織物工業の発達(14C~)生産・輸出
代表的産業に

・官僚制と常備軍は未発達

 

ポイント②テューダー朝の発展
ヘンリ8世からエリザベス1世の時代

<イギリス絶対王政>
ヘンリ8世が始めて、エリザベス1世で完成。

ヘンリ8世(位1509~1547)
民衆から人気。議会も無視できない。。
・首長法(国王至上法)(1534)
星室庁裁判所の設置
身分の高い者を裁く国王直属の裁判所

第1次囲い込みエンクロージャー
牧羊地(モコモコ羊毛がほしい→毛織物→輸出して稼ぐ)
毛織物が代表産業に。ジェントリから支持。
→農民の浮浪化・極貧化

エリザベス1世(位1558~1603)
国民から人気があった。
統一法(1559)
イギリス国教会の確立(カトリック教会とは決別)

積極的な海外進出。重商主義。
ドレーク(1540~1596)
ー 私拿捕船(しだほせん)・私掠船(しりゃくせん)
(=国王公認の海賊船)
スペイン船から金や銀を奪う。

ー ドレークは世界周航を達成。
各地を探検させ新しい土地を探させた

北米ヴァージニア植民地を建設(→失敗に終わる)

・スペインの無敵艦隊(アルマダ)を撃破(1588)
英の経済力、海軍力の強さがヨーロッパに示される

イギリス東インド会社の設立(1600~1858)
専門の貿易会社を作る。

ポイント③フランスは内乱のあとに絶対王政が始まる!
ユグノー戦争の終結と国王権力の拡大

<フランス絶対王政>
内乱ユグノー戦争(1562~1598)で貴族が没落→国王権力が強くなっていく。絶対王政が始まる。

ヴァロワ朝
ブルボン朝(1589~1792)

アンリ4世(位1589~1610)
ユグノー(カルヴァン派)からカトリックへ改宗(1593)
ナントの王令(勅令)(1598)
ユグノー戦争終結

海外進出
・フランス東インド会社→経営不振
ケベックの建設(1608)・・カナダの拠点

ルイ13世(位1610~1643)9才で即位
三部会の招集停止
・名宰相リシュリュー
王権を強化
ドイツ三十年戦争で勝利。


(4)フランスのルイ14世の時代
ポイント①ルイ14世の時代は典型的な絶対王政!
優秀な部下に恵まれた前半の政治と、後半の波乱

<フランス絶対王政>
ルイ14世(位1643~1715)5才で即位。72年間!ギネス
<清の成立1644~康煕帝(位1661~1722)と同じぐらいの時期>

(宰相:マザラン)(注:世界一周はマゼラン)

フロンドの乱(1648~1653)5年
王権の伸長に対する貴族、高等法院(王の命令を審査する貴族)の反乱。←マザランにより鎮圧

1661~マザランが亡くなり、ルイ14世、自ら政治を行う。(23才)
・「朕は国家なり
(私が国だ。私の損得が国の損得だ。)

・神学者ボシュエ
王権神授説を確立。皇太子の教育係。

財務総監コルベール
典型的な重商主義政策(コルベール主義
→国家が直接経済活動に介入し、国を富ませようとした。

フランス東インド会社再建

特権マニュファクチュアの設立
(国内産業の保護。輸入をおさえて質の高い製品を輸出する)

ヴェルサイユ宮殿の完成(1682)
パリ郊外ヴェルサイユに建設。ルイ14世はここで政務を取った。権力の象徴。

ルイジアナの建設(1682)
北米ミシシッピ川流域を領有宣言。フランスの植民地とした。
「ルイ14世」の名前を取ってルイジアナに。(探検家ラ・サール)

ナントの王令(勅令)廃止(1685)
カトリック強制。→ユグノー(カルヴァン派)が国外へ。商工業者が多かったので、フランス産業が衰退。

 

ポイント②ルイ14世の対外戦争!
4回にわたる侵略戦争をみる

ルイ14世の対外侵略戦争

「自然国境説」(国境は川や山などで決めるべき)を唱える。
西のスペインとはピレネー山脈、北の英とはドーバー海峡、南のスイスとはアルプス山脈が国境だ。
→だから東はライン川まで領土を広げよう!

これら↓↓の国はライン川の内側にあるからフランスのものだと主張。(もう、むちゃくちゃ)
[1]・南ネーデルラント継承戦争
[2]・ファルツ戦争

[3]・オランダ(侵略)戦争(南ネーデルラントに味方したから報復)

そしてフランスにとって最も痛い結果に終わったのがこちら
↓↓
[4]・スペイン継承戦争(1701~1713)

スペイン=ハプスブルク家の断絶
→ルイ14世の孫フィリップの王位継承を主張。(ルイ14世の妻がスペイン王家のため)
→フィリップがフェリペ5世として即位(スペイン=ブルボン朝の創始)
↓↓
(ちょっと待ったーー!)
スペイン継承戦争
スペイン・フランス✕ VS 〇英、オランダ、オーストリア
↓↓
ユトレヒト条約(1713)

フェリペ5世の即位は承認されたが・・
「フランス・スペインの合併は永久に禁止」となる。
(同じブルボン朝が合体することができない)
領土拡大は失敗

(cf.ユトレヒト同盟(1579)はオランダ独立戦争で北部7州が結んだ同盟)

↓↓
この4つの戦争で、財政圧迫・・。
このあとは絶対王政が衰退。フランス革命へとつながる。

 


(5)第2次英仏百年戦争
ポイント①イギリスの世界進出!
インド・北米へと進出するイギリスの動き

<イギリス>
〇英のインドへの進出
(中心:東インド会社)
マドラス(インド南東)・ボンベイ(インド西南)の獲得
カルカッタ(インド北東)の獲得(ガンジス川下流)
肥沃なベンガル地方の要地

〇英の北米への進出(13植民地の形成)
アメリカ東海岸
ヴァージニア植民地
最初の北米植民地(エリザベス1世時は失敗。これは再トライでステュアート朝・ジェームズ1世時の話)

ピルグリム=ファーザーズ
清教徒ピューリタン(英のカルヴァン派)中心。
英から米に移る。宗教的自由を求めて。
↓↓
ニューイングランド植民地
米北東部。プリマスなど。

・ニューアムステルダムをオランダから奪って
ニューヨークと改名。

 

ポイント②フランスの世界進出!
インド・北米へと進出するフランスの動き

<フランス>
〇仏のインドへの進出
東インド会社再建(1664)
(↑ルイ14世時の財務総監コルベールにより)

ポンディシェリ(インド東南=マドラス(英)のすぐ南)
シャンデルナゴル(インド北東・ガンジス川流域=カルカッタ(英)のすぐ北)

〇仏の北米への進出
ケベック(カナダ)を建設(1608 アンリ4世)
ルイジアナの建設(1682 ルイ14世)
ミシシッピ川流域(北米大陸の真ん中を北から南まで、斜めに縦断)

 

ポイント③イギリスとフランスの植民地争奪戦!
北米・インドでついに衝突

・第2次英仏百年戦争(1688~1815)
インド・北米の植民地をめぐって英仏が戦う

【北米での英仏戦争】
・アン女王戦争(1702~1713)
北米の植民地争奪戦。英王の名前から。

ヨーロッパで仏ルイ14世がスペイン継承戦争(1701~1713)を起こしたときに、英はあえて仏の敵に回って、英 VS 仏の形を作った。
→結果→英〇 仏✕
↓↓
ユトレヒト条約(1713)
(「スペイン継承戦争」と「アン女王戦争」の条約)

英が領土を多く獲得。
<仏→
→アカディア、ニューファンドランド、ハドソン湾地方(現カナダ)
→英の北米進出の足がかりとなる。

<西→
ジブラルタル(スペイン南)、ミノルカ島(地中海)
→英が地中海の入口を確保

フレンチ・インディアン戦争(1755~1763)(北米)
(ヨーロッパでは七年戦争(1756~1763))
英〇 VS ✕仏
↓↓
パリ条約(1763)
さらに英は領土を広げる。
カナダ・ミシシッピ川以東ルイジアナ、(仏→英)、フロリダ(西→英)(※ミシ以西ルイジアナは仏→西)

(西) (東)
==
=  ==
西==
===
===

これで北米はほぼ英領になった。

【インドでの英仏の戦い】

・カーナティック戦争

プラッシーの戦い(1757)
英の東インド会社の書記長:クライヴの活躍
(カルカッタ(英)とシャンデルナゴル(仏)の近く)

英〇 VS ✕仏・ベンガル太守連合軍

↓↓
結果→第2次英仏百年戦争はイギリスの勝利
英はインド・北米に植民地を増やす!

 

 


 

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