【25】ウィーン体制の成立と崩壊
(1)絶対王政時代への復帰
(2)ウィーン体制への反発
(3)ウィーン体制の動揺
(4)ウィーン体制の崩壊
1830七月革命、1848二月革命でウィーン体制は崩れていく・・
(1)絶対王政時代への復帰
ポイント①会議は踊る!されど進まず・・・
ナポレオン失脚後のヨーロッパ秩序の回復
絶対王政に戻そう
【ウィーン会議】(1814~1815)オーストリアの首都
メッテルニヒが主催(オーストリア外相→宰相)
オスマン帝国を除く全ヨーロッパ君主
→大国の勢力均衡を協議
理念を決めたのはタレーラン(仏外相)
正統主義・・フランス革命前の状態、絶対王政へ戻そう。領土・主権。
「会議は踊る。されど進まず」
各国の利害がぶつかって進展せず・・1年かけてようやくまとまる。
ポイント②フランス革命前のヨーロッパへ!
各国の領土変更と国家体制の変更
【ウィーン議定書】(1815)
<領土変更>
・イギリス・・セイロン島(蘭→英)、ケープ植民地(南ア)獲得
・ロシア・・ポーランド立憲王国の国王を兼ねる(ポーランド復活)
・プロイセン・・ラインラントを獲得
・オーストリア・・ロンバルディア・ヴェネツィア獲得→北イタリア
(19Cイタリア統一時のトラブルの種に・・)
・オランダ・・南ネーデルラント(ベルギー)獲得
<国家体制の変更(国の形の変更)>
・ドイツ連邦の成立(盟主オーストリア)
「革命前に戻すなら神聖ローマ帝国復活じゃないのか・・?いや、どうせみんな皇帝の言うことは聞かない。それなら墺がリーダーでまとめよう。」
・スイス永世中立(他国の戦争に干渉しない)
・フランス・スペイン・・ブルボン朝復活
・オランダ王国の成立
ポイント③ウィーン体制を支える2本の柱
各地の自由主義・国民主義を弾圧
・ウィーン体制
革命前の絶対王政に戻す。市民が反発してきたらつぶす。2つの同盟
↓↓
1【神聖同盟】(1815)
・アレクサンドル1世(ロシア皇帝)が提唱
「同じキリスト教同士、助け合おう(カトリックもプロテスタントも)」
・全ヨーロッパ君主参加
(不参加)
・英(英にとって不都合)
・オスマン(イスラーム)
・ローマ教皇(カトリックだから。プロテスタントはちょっと・・)
2【四国同盟】(1815)
・ヨーロッパの現状維持を目的
・英・露・墺・普の軍事同盟
途中で仏が加盟して五国同盟となる
(2)ウィーン体制への反発
ポイント①ヨーロッパで起きたウィーン体制への反発
自由主義運動・国民主義運動の頻発
4つの自由主義運動→全て失敗✕
[1]✕ブルシェンシャフト(ドイツ学生同盟)ドイツの自由を!
→オーストリア軍により鎮圧
[2]✕カルボナリ(炭焼党)イタリアの自由を!
→オーストリア軍の干渉により鎮圧
[3]✕スペイン立憲革命「憲法を作ってブルボン朝の王の力を制限しよう」→フランス軍の干渉で挫折
[4]✕デカブリストの乱(1825)ロシア「皇帝独裁反対!」
→新帝ニコライ1世により鎮圧
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【ナショナリズム(国民主義)】→独立したい!
・〇ギリシア独立戦争(1821~1829)→成功
(当時、オスマン帝国領土。俺たちはトルコ人じゃない、ギリシア人だ!)英、仏、露も参戦。英バイロン、仏ドラクロワも応援。
→ロンドン会議(1830)
ギリシアの独立を国際的に承認
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ポイント②ラテンアメリカの独立
独立にあたってヨーロッパはどう対応したのか・・
【ラテンアメリカ】
・ハイチ独立(1804)カリブ海の小さな国(仏の支配下)
ラテンアメリカで初の独立。黒人共和国。
トゥサン=ルベルチュール(黒人指導者)の独立闘争
ナポレオン軍により捕縛・獄死
・シモン=ボリバルの活躍(ベネズエラ出身)
現地生まれの白人地主=クリオーリョ(※自分たちの利益のために独立したので、その後も先住民は土地問題に悩まされる・・)
ナポレオンが暴れてヨーロッパが混乱。独立するなら今かも?
(スペイン支配下)ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ボリビア独立
・サン=マルティンの活躍(アルゼンチン出身)
(クリオーリョ)
(スペイン支配下)アルゼンチン、チリ、ペルー

【その他】
・メキシコ独立 スペイン支配→イダルゴ神父の独立宣言
・ブラジル独立 ポルトガル支配→ポルトガル王子が皇帝即位
ラテンアメリカ独立に際して、列強指導者の対応は・・
(墺)メッテルニヒ・・反対!独立運動の弾圧を企図→断念
(英)カニング・・賛成!ラテンアメリカをイギリスの製品市場にしたい
(米)モンロー・・賛成!米欧両大陸の相互不干渉 モンロー宣言(教書)→アメリカで起きていることに欧は口出ししないで・・とメッテルニヒを牽制
(3)ウィーン体制の動揺
ポイント①ブルボン復古王政と七月革命
復活した王朝への不満と革命の勃発
(フランス)ナポレオン失脚後・・
【ブルボン復古王政】(1814~1830)
兄ルイ18世(位1814~1824)
↓↓
弟シャルル10世(位1824~1830)
反動政治の強化
・アルジェリア出兵(1830)
政治から外に目をそらせた
その間に絶対王政への復帰を急いだ・・
・未招集議会の解散(議会を開くと言いながら開かなかった)
・選挙資格の大幅制限
・言論・出版の統制を強化
↓↓そんなことはさせない!
【七月革命】(1830)
市民が暴動を起こす。
シャルル10世は亡命、ブルボン朝は崩壊。
→ルイ=フィリップの即位(オルレアン家)
ポイント②七月革命の影響
ヨーロッパ各地で起きたウィーン体制への反発
ヨーロッパの自由主義、国民主義
【七月革命の影響】
↓↓
・〇ベルギー独立
オランダから
・✕ポーランド蜂起
ロシア支配から離脱を求め蜂起→鎮圧
(ショパン『英雄』。祖国ポーランドへの思いとロシアへの怒り)
・✕ドイツ反乱
各地で憲法が制定→鎮圧
・✕イタリア反乱
カルボナリが蜂起するもオーストリア軍により鎮圧
→カルボナリは解散
→「青年イタリア」リーダーはマッツィーニ
(4)ウィーン体制の崩壊
ポイント①金持ちしか相手にしてくれない!?
フランスの七月王政への不満と革命の勃発
七月革命によりブルボン朝が倒れ・・
【七月王政】(1830~1848)
ルイ=フィリップ
・極端な制限選挙
少数の銀行家・大ブルジョワジー(金持ち)の利益を中心とした政治
人口の1%未満しか投票に行けない
・産業革命の進展
中小産業資産家や労働者の登場(新しい階級の登場)
→男性普通選挙を求めて、選挙法改正運動を展開
↓↓ パリ市民の不満が爆発。
【二月革命】(1848)
パリの労働者、学生、資本家による暴動。七月王政を打倒。
カール・マルクス(独)の影響
「万国のプロレタリア(労働者)よ、団結せよ!」
↓↓
第二共和制へ・・
社会主義者 ルイ・ブラン
労働者、失業者側の味方
国立作業場を作る→選挙で負けて後に閉鎖・・
ポイント②二月革命の各地への影響
ウィーン体制の完全崩壊と新たなヨーロッパへ・・
仏二月革命はヨーロッパ各国に大きな影響を与えた!
=「諸国民の春」(1848年革命)
【二月革命の影響】
↓↓
・ウィーン三月革命
→メッテルニヒ失脚。ウィーン体制の崩壊。
・ベルリン三月革命
国王に憲法制定を約束
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オーストリアは多民族国家
・✕ハンガリー民族運動
マジャール人(アジア系)がオーストリアから独立を求めた。
コシュートの独立宣言→鎮圧
・✕ベーメン(ボヘミア)民族運動
チェック人(スラヴ系)がオーストリアから独立を求めた。
プラハを中心に蜂起→鎮圧
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(独)【フランクフルト国民議会】→失敗
ドイツ統一と憲法制定を協議
大ドイツ主義✕ VS 〇小ドイツ主義
・大ドイツ主義:オーストリア中心で独統一しよう
・小ドイツ主義:プロイセン中心で独統一しよう・オーストリアは除く(ドイツ人以外も住んでるから)
→小ドイツ主義が勝ったが、プロイセンの王が独統一を拒む。オーストリアに対して気まずいから。
(伊)【イタリア民族運動】
・サルデーニャ王国の統一運動→✕
・ローマ共和国の建国(青年イタリアのマッツィーニが自分たちの国を作ろうとした)→✕ルイ・ナポレオンにより鎮圧
(英)【チャーティスト運動】
労働者の参政権要求。議会請願、デモ運動、ストライキの実施。