トライ世界史 – ページ 2 – 歴史note

【37】第一次世界大戦後の欧米諸国

【37】第一次世界大戦後の欧米諸国
(1) 戦勝国アメリカの栄華
(2) 戦勝国イギリス・フランス
(3) 敗戦国ドイツの復興
(4) ファシズムの台頭
(5) 東欧諸国の動向


(1)戦勝国アメリカの栄華
ポイント①第一次世界大戦を勝利に導いたウィルソン!
急速に保守化するアメリカ社会・・

米が政治・経済No1に!排他・排外的になる。

民主党政権(1913~1921)>
28代ウィルソン大統領
禁酒法(1920~1933)
(厳格なプロテスタント(ピューリタン)の意思を反映)

女性参政権(1920)男女平等選挙権
(総力戦で女性も兵器工場で働いた。→女性の地位向上)

モンロー主義「米は米、欧は欧」のように昔に戻そう。
ヴェルサイユ条約の批准を拒否(上院の反対)
米は国際連盟不参加
さらに保守化が進み、次は共和党が政権を取る。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②排外的なアメリカ社会の「裏」の顔
共和党政権下に露わになったアメリカの「光」と「影」

共和党政権(1921~1933)>3代続く
排外的。(外国人出ていけ)。さらに保守的に。

債権国アメリカ
米は債務国から→債権国になった。
WW1の連合国の兵器工場になったため。

・大量生産・大量消費
へ。
大衆消費社会。新聞やラジオ放送など。

WASP(ワスプ)北部都市・白人中心階級
白人(White)、アングロ・サクソン(AS)、プロテスタント(P)。
↓↓
・K・K・K(クー・クラックス・クラン)活動再開。
黒人、黄色人種の差別。
↓↓
・サッコ・ヴァンゼッティ事件(伊系・冤罪)
2人のイタリアの無政府主義者への冤罪事件

移民法(1920)
アジアからの移民は全面禁止。排日移民法。


(2)戦勝国イギリス・フランス
ポイント①躍進する社会主義勢力
イギリスでは初の社会主義政党が政権を獲得

<英>
ウィンザー朝(1917~現在)
(王家が変わったのではなく、ハノーヴァー朝から改名。ハノーヴァーはドイツ読みなので。)
スチュワート朝⇒ハノーヴァー朝(独出身の諸侯)
(ウィンザーはバッキンガム宮殿がある地名)

ロイド・ジョージ挙国一致内閣
・第4回選挙法改正(1918)
21才以上の男性、30才以上の女性に選挙権。
イギリス初の女性選挙
(※世界初の女性選挙権はニュージーランド。(1893))

第1次マクドナルド内閣(1924)
英で労働党内閣。(社会主義政党)。自由党と連立したが崩壊。

第5回選挙法改正(1928)
21歳以上の男女に選挙権。

お金に余裕がないので植民地支配の方針を変更
↓↓
ウエストミンスター憲章(1931)
自治領をイギリス本国と同党の地位を与える。法的に制定。
大英帝国」⇒「イギリス連邦」と改称。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランス外交は「本音」と「建て前」!?
ヨーロッパ諸国の顔色をうかがう外交

<仏>
対ドイツ強硬外交
・クレマンソー挙国一致内閣
・ポワンカレ内閣。
ルール占領(ルール出兵)→仏は他の欧米に怒られた。
↓↓
対ドイツ協調外交に変更
本音:独のことキライ。
建前:手のひら返しで独と協調

・左派連合政権
ソ連の承認、ロカルノ条約締結。

・ポワンカレ内閣
不戦条約(1928)パリで調印。
米ケロッグ、仏ブリアン。


(3)敗戦国ドイツの復興
ポイント①第一次世界大戦後のドイツ国内の混乱!
帝政から共和制へ移行するドイツが直面した問題

ドイツ革命(1918~1919)>
キール軍港の水兵反乱。
「評議会(レーテ)」が成立。労働者・兵士の代表が集まる会議。
(ロシアでは「ソビエト」、ドイツでは「レーテ」と呼ばれる。)
ヴィルヘルム2世亡命。
↓↓
ドイツ共和国成立。(王や皇帝がいない)
ドイツ休戦協定を締結。

スパルタクス団の結成。(「ドイツ共産党」の母体)
ドイツをロシアのような社会主義国家にしようと暴動。←鎮圧。
・カール・リープクネヒト
・ローザ・ルクセンブルク(ポーランド出身の女性革命者)

ヴァイマル国民議会の開催(1919)
社会民主党が主導
初代大統領・・エーベルト
↓↓
ヴァイマル(ワイマール)憲法
当時世界で最も民主的主権在民、男女平等の普通選挙。労働者の団結権、団体交渉権の保障。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界でもっとも民主的な国が抱えたトラブル!
巨額の賠償金がドイツ社会に大きな影響を及ぼす・・

ヴァイマル共和国(ドイツ共和国)

<賠償問題>
仏にルール占領される⇒激しいインフレ
・帝政派の軍部クーデタ
・ドイツ共産党の武装蜂起など
国内は混乱・・

シュトレーゼマン大連合内閣>
・首相:シュトレーゼマン
レンテンマルク紙幣の発効。(1兆マルク=1レンテンマルク)
インフレを奇跡的に収束。
↓↓
<2代目大統領 ヒンデンブルク
・協調外交(シュトレーゼマン外相)
ロカルノ条約の締結→ドイツの国際連盟の加盟。
不戦条約の締結

着実に復興を歩む・・。
(シュトレーゼマンはノーベル平和賞受賞。仏ブリアンとともに。)


(4)ファシズムの台頭
ポイント①戦勝国なのに混乱するイタリア
民主主義の矛盾をついた新しい政治思想の登場

(イタリア)
ヴェルサイユ体制への不満
戦勝国だけど不満→参戦の条件に英仏と約束した「未回収のイタリア」が一部回収できなかったから。
↓↓
フィウメ問題(イタリア人が多く住む地域)
南チロル、トリエステは回収できたが、フィウメはユーゴスラヴィア領に→その後、国際連盟の管理下に

・戦後の不況問題
北イタリアでストライキ。←政府(イタリア社会党)が鎮圧。
「社会党(社会主義)」は労働者の味方じゃないのか!」失望・・。
↓↓
新しい政治思想。ファシズムの台頭。
貧富どちらにも支持される。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ムッソリーニの一党独裁体制の確立!
民衆から支持を集め、独裁政治を行う

<ムッソリーニ(ファシスト党)(1883~1945)>
ファシスト党の結成
反社会主義
→資本家・地主・軍部に支持を拡大

国家による経済統制
仕事は与える。物価は下げる。
→下層階級からも支持
↓↓
「ただし言論の自由は許さない!」
ファシズム全体主義

ローマ進軍
ムッソリーニのクーデター。
国王はムッソリーニの組閣を承認。政権を獲得
↓↓
・フィウメ併合
国民から支持が高まる
↓↓
ファシスト党の一党独裁制
の成立
ファシズム代表議会

アルバニア保護国化
植民地拡大(バルカン半島・モンテネグロの南)
強いイタリアをアピール

ラテラン条約(1929)
ローマ教皇との和解
(イタリア政府とローマ教皇は断絶していた。→イタリア統一運動の普仏戦争1870で教皇領を奪ったため。)
→ヴァチカン市国(しこく)の成立承認。
(※ナポレオンもローマ教皇と和解して国民の人気を獲得していた)

↓↓
イタリア国民の仲間意識を高めていく。
当時イタリア国民はファシズムを支持


(5)東欧諸国の動向
ポイント①独裁政治のほうが都合が良い!?
西ヨーロッパ諸国は東欧の独裁政治を認める

・ウィルソン提唱の「民族自決」が東欧には適用され独立。

東欧諸国の独裁ポーランド)>
・ソヴィエト✕=ポーランド戦争〇
ポーランドは勝利し、領土を獲得。
ピウスツキの独裁体制(議会は無視)

東欧諸国の独裁ハンガリー)>
ハンガリー革命(1918~1919)
社会党や共産党がソヴィエト政権(社会主義)を樹立。
→ハンガリー共和国の独立←ルーマニア軍介入で崩壊。
↓↓
・ホルティの独裁
王政を復活。社会主義を阻止

西欧の考え
→「社会主義さえ阻止してくれれば、独裁でもいい」

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界が注目!ソ連経済の急成長
社会主義国家の計画経済とは?

レーニンの死(1924)ロシア革命の指導者・ソ連の創始者
後継者をめぐって2人が争う。
↓↓
[1]トロツキー✕:「世界革命論
西欧や世界に革命を広げよう。政治的援助が必要。
(→メキシコで暗殺される)
VS
[2]スターリン〇:「一国社会主義論
社会主義の建設はソヴィエト一国で充分。

スターリン体制(1930年代)>
粛正
スターリン反対派を大量に処刑。

スターリン憲法(1936)
形式的な民主主義。男女平等。民族平等。(→書いただけで実際はやらない)

<ソ連の計画経済>
第1次五カ年計画(1928~1932)
重工業重視の工業化。→工業国へと急成長。
農業の集団化、機械化。
コルホーズ(集団農場)桑・機械などを共同で利用
ソフホーズ(国営農場)作物は国のもの。賃金を支払う。

■ 第2次五カ年計画(1933~1937)
・軽工業の発展

↓↓
ソ連は欧米に並ぶ経済大国に成長。西欧には社会主義が脅威となってくる・・。

 


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【36】ヴェルサイユ体制とワシントン体制

【36】ヴェルサイユ体制とワシントン体制
パリ講和会議(1919)/ ヴェルサイユ条約(1919)/ 国際連盟
ワシントン会議(1921~2)/ ロンドン軍縮会議(1930)
(1) 敗戦国ドイツの処分
(2) 敗戦国の処理
(3) 戦後の国際秩序の維持
(4) 国際協調主義にむけて


(1)敗戦国ドイツの処分
ポイント①第一次世界大戦後の国際秩序を決めよう!
紛糾する講和会議とその議題に注目

パリ講和会議(1919)
・戦勝国(連合国)のみ参加。敗戦国とソヴィエト=ロシアは招かれず。(←周りの国々が警戒)
・ウッドロー=ウィルソン(米)十四カ条の平和原則
・ロイド=ジョージ(英)英の地位の復帰
・クレマンソー(仏)独に厳しい制裁をすべき

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ドイツに徹底した復讐を!
敗戦国ドイツに課された過酷な条件・・・

ヴェルサイユ条約(1919)>独に付きつけられた条件
・海外植民地は全て喪失。
アルザス・ロレーヌ(独仏国境。地下資源豊富)をに割譲。(普仏戦争1870で仏→独領に。それを返還した)
・ポーランド回廊をポーランドへ割譲。
・国際連盟の管理下に・・ザール地方、ダンツィヒ
ラインラント非武装・・ライン川流域。独仏の国境線。
軍備制限・・空軍✕、潜水艦✕、徴兵制禁止など。
・巨額の賠償金・・未決定(後に1320億金マルク/約200兆円と決定)
国際連盟の発足


(2)敗戦国の処理
ポイント①ドイツ以外の敗戦国の処分
戦勝国の思惑が反映された講和条約・・

<独以外の敗戦国との講和条約>
(連合国と各国が結んだ条約)
サン・ジェルマン条約・・対オーストリア
トリアノン条約・・対ハンガリー
(※オーストリア=ハンガリー帝国は切り離された。)
ヌイイ条約・・対ブルガリア
セーヴル条約・・対トルコ(オスマン帝国)

東欧諸国の独立
・バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)
・ポーランド
・フィンランド
・ハンガリー
・チェコスロバキア
・セルブ=クロアート=スロヴェーン王国→ユーゴスラビア

※ウィルソン十四カ条の「民族自決」は東欧にだけ適用。ソ連との壁・ブロックとして独立を認めた。アジア、アフリカには適用されず。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦後の西アジア情勢
21世紀まで続く中東問題の火種はここにある!

第一次世界大戦後の西アジア情勢(旧オスマン帝国領)

アラビア独立
・ヒジャーズ王国(アラビア半島の西)
メッカの首長:フセインが建国(フセイン=マクマホン協定)

英に協力したらアラブ人国家を作っていいよと英は言ったので、フセインはヒジャーズ王国を作った。
↓↓
しかし英は自分たちと仲がいいイブン・サウード(サウード家)を使って攻撃。
↓↓
サウジアラビア王国の成立。(=サウード家のアラビア)

<アラビア半島の北部(旧オスマン帝国領)>
委任統治
国際連盟が預かる。英仏が統治。
の管理・・イラク、パレスチナ、トランスヨルダン
の管理・・シリア、レバノン
レバ・シリア
パレ・ヨル・イラク
英仏が民族や宗派に関係なく勝手に国境線を引いてしまったので、今でも民族紛争が絶えない・・。


(3)戦後の国際秩序の維持
ポイント①世界初の集団安全保障!
国際連盟の発足とその問題点

・国際連盟(1920)・・世界初の集団安全保障組織
本部:ジュネーヴ(スイス)
最高議決機関:総会
(理事会)
常任理事国・・英・仏・伊・日
非常任理事国 総会で選出された4カ国

・国際労働機関(ILO)
労働問題の調整機関。(社会主義革命を阻止するため)

(国際連盟の問題点)
・提唱国のアメリカ不参加
脱退・参加の自由
全会一致の原則(各国の利害関係で機能せず・・)
制裁規定の欠落
↓↓
だから第二次世界大戦を防ぐことができなかった・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②東アジアの国際秩序を形成せよ!
アメリカ主導で動く戦後の国際秩序とは?

東アジアの国際秩序
・ワシントン会議(1921~22)
(本心:米が日本の成長に警戒。抑制したい。。)
米ハーディング大統領が開催

四カ国(しかこく/よんかこく)条約
太平洋地域の領土と権益の相互尊重→日英同盟解消

九カ国条約
中国の主権、独立の尊重。→二十一カ条要求の失効。

ワシントン海軍軍備制限条約
主力艦の保有比率
米:英:日:仏:伊=5:5:3:1. 67:1. 67
世界で軍縮(軍備縮小)の動きへ・・


(4) 国際協調主義にむけて
ポイント①ヨーロッパは皆で仲良く!?
第一次世界大戦を反省したヨーロッパ諸国の動き

国際協調主義(みんなで仲良くお互い尊重しよう)

ロカルノ条約(1925)
西ヨーロッパの安全保障。
ドイツ外相:シュトレーゼマン(戦後ドイツの立て直し)
→独の国際連盟加入(1926)

不戦条約(1928)(60カ国)
米国務長官:ケロッグ
仏外相:ブリアン
「国際紛争の解決は武力によらない」
(戦争放棄)(←日本国憲法にも反映される)

ロンドン軍縮会議(1930)
補助艦の保有比率
米:英:日=10:10:7弱(←日本の海軍の反発を招いた)

(コミック『アルキメデスの大戦』)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②払えるワケがない!ドイツを苦しめたお金のトラブル
第一次世界大戦後のドイツ賠償問題の行方

賠償問題

ヴェルサイユ条約
ドイツの賠償を規定→1320億金マルクに

独が払えない。

↓↓ 仏が怒る。「金がないならモノで払え」

ルール占領(1923)仏とベルギー
が独の工業地帯ルール地方を占領
独は消極的抵抗。生産停止→物価高インフレーション激化
↓↓
ドーズ案
が独にお金を貸す。⇒独は英・仏に賠償金を支払う。⇒英仏は復興に。米に借金を返す。
これで仏もルールから撤兵。

・ヤング案
賠償金の減額。
↓↓
しかし「世界恐慌」で米に余裕がなくなった・・
↓↓
フーヴァー=モラトリアム
ドーズ案を1年停止。かえって独英仏が苦しくなる。。経済圧迫。

 


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【35】第一次世界大戦とロシア革命

【35】第一次世界大戦とロシア革命
<第一次世界大戦>1914-1918
(1) 20世紀初頭の国際情勢
(2) 第一次世界大戦の勃発
(3) 第一次世界大戦の終結
(4) ロシア二月革命
(5) ロシア十月革命。史上初、社会主義国家の誕生
(6) 内戦と諸外国の干渉


(1)20世紀初頭の国際情勢
ポイント①もう一度確認!20世紀初頭の列強の同盟関係
ドイツに対抗するために生まれた国際関係を整理

ドイツ VS ロシア
(ビスマルク時代)
・三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)
・独と露は再保障条約(秘密条約)

(ヴィルヘルム2世時代)
再保障条約を更新せず、ロシアとけんかを始める。
↓↓
仏はそれをのがさず、露と手を結ぶ。
露仏同盟(1891)
ヨーロッパの情勢が一気に変わる。

※三国同盟のイタリアオーストリアは領土をめぐって、実はギクシャク状態。(未回収のイタリア

ヴィルヘルム2世はこれを解決せず、露にけんかを売ってしまった。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生!
三国同盟と三国協商の対立

ドイツ VS イギリス(三国協商の成立)

独はロシアにけんかを売ったあと、英にもけんかを売る。
ドイツの方が工業力で上になった。
↓↓
「光栄ある孤立」だった英が、他の国と初めてくっつく。
・日英同盟(1902)
↓↓
・英仏協商(1904)
一緒にドイツを止めましょう。エジプト(英)とモロッコ(仏)の相互承認。
↓↓
英露協商(1907)
↓↓
三国協商(1907)

三国同盟:独・伊・オーストリア
VS
三国協商:英・仏・露
↑↑
独キライ同盟。
露仏同盟(1891)。英仏協商(1902)。英露協商(1907)。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント③バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」
一つの火種が大爆発を起こす

<バルカン半島の危機>
なぜ危険?→の思惑がバルカン半島にあったため。

パン=ゲルマン主義(ドイツ)
VS
パン=スラヴ主義(ロシア)
セルビア・・パン=スラヴ主義の中心勢力。バルカン半島はスラブ人が多い。独は入ってくるな。

バルカン半島の情勢が悪化していく・・

青年トルコ革命(1908)→オスマン帝国(トルコ国内が混乱)
・便乗する形でブルガリアが独立。
・そのすきにオーストリアが無理やり隣のボスニア・ヘルツェゴビナ併合。バルカン半島に勢力を伸ばしてくる。
↓↓
隣のセルビアは反発。

・イタリア=トルコ戦争
イタリアが、弱っているオスマン帝国に侵入。アフリカのリビアを獲得。
↓↓
セルビアは、この弱っているオスマン帝国の領土を奪う
↓↓
バルカン同盟(1912)
セルビア・ブルガリア・モンテネグロ・ギリシアの同盟(+ロシアの支援)

第1次バルカン戦争(1912)
バルカン同盟 〇VS ✕オスマン帝国敗北

第2次バルカン戦争(1913)
セルビア・モンテネグロ・ギリシア ルーマニア・オスマン帝国〇VS✕ブルガリア。仲間割れしてブルガリアが敗北
↓↓
負けたオスマン帝国ブルガリアは、セルビアロシアに反感を持つようになる。
↓↓
独、オーストリア側(三国同盟側)に付く。


(2)第一次世界大戦の勃発
ポイント①第一次世界大戦の引き金をひいたある事件!
セルビアの青年が放った銃弾が世界大戦を引き起こす・・

サライェヴォ事件(1914.6.28)
オーストリア帝位継承者夫妻・フェルディナント夫妻。
陸軍演習の視察でサライェヴォ(ボスニアの州都)を訪問。ボスニアはオーストリアが無理に併合した地域。

セルビア青年が夫妻を暗殺。
「にっくきオーストリアめ・・」
↓↓
オーストリアセルビアに宣戦
↓↓
ロシア協商国=連合国)がセルビアを支援。
↓↓
ドイツ同盟国)がオーストリア側に付く。露・仏に宣戦布告
↓↓
第一次世界大戦へ・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ロシア・フランス・イギリスに囲まれたドイツの戦術とは?
<ドイツの短期決戦作戦>
独は不利。三方を囲まれている。


独は短期決戦をめざし、まずは全力でを倒してその後ロシアへ。

■ 西部戦線との戦い)
独はベルギーの中立を侵犯し、仏・パリを攻めようとした。
(中立国は攻めてはいけない。国際ルール)
が怒る⇒英の対ドイツ宣戦。

マルヌの戦い(1914.9)
〇仏 VS ✕独

東部戦線との戦い)
タンネンベルクの戦い(1914.8)
仏に向かうさなか、ロシアが後ろから来た。独はロシアに勝利。
〇独 VS ✕露
勝った勢いのままロシアに侵攻するが、そこでは独は敗北

→膠着状態。長期戦へ・・。

海上戦との戦い)
独は潜水艦を使う。
ルシタニア号の撃沈。軍艦ではなく一般客船。
の国民が犠牲に。⇒米が怒る


(3)第一次世界大戦の終結
ポイント①日本の参戦!イタリアの裏切り!?
各国の思惑が一気に噴出した大戦の様相

日本の参戦(1914)
日英同盟
があったため英側協商国側)に付く。
が持つ中国領土を攻める。
・膠州湾青島(チンタオ)を占領。
二十一カ条の要求・・大隈重信内閣(早稲田大学創設)
どさくさに紛れて中国の植民地化を進める。
ドイツ領南洋諸島占領(マーシャル諸島など)

イタリアの参戦(1915)>
三国同盟の伊は中立を保っていた。それに英と仏は目を付ける。
→「未回収のイタリア」を渡すから・・と交渉。
イタリアの裏切り!三国同盟を離脱して英・仏に付く。

英の秘密条約
どうしても勝ちたいの3枚舌外交。オスマン帝国領土の3重契約。
[1]フセイン・マクマホン協定
オスマン帝国は英の敵の独側(同盟国側)。そこでアラブ人をオスマン帝国内で反乱を起こすようけしかける。アラブ人国家の独立を約束。(映画『アラビアのロレンス』)

[2]サイクス・ピコ協定
オスマン帝国領を英・仏・露で分割しよう。

[3]バルフォア宣言
パレスチナ(オスマン帝国領内)におけるユダヤ人国家建設を支援。「だからユダヤ人さん、お金を貸して」
↓↓
現在まで続く中東問題の諸悪の根源に・・。

・英は植民地のインドにも自治の約束

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界大戦の終結に向けて
1917年は世界大戦の動向に大きな影響を与えた年!

協商国連合国)英・仏・露・米・日・伊など20カ国
VS
同盟国 独・墺・オスマン帝国・ブルガリア

総力戦
国民全員で一致団結。
女性の工場労働。兵器工場。

ヴェルダン要塞をめぐる攻防
独✕ VS 〇仏

ソンムの戦い
英軍が初めて戦車(タンク)を使う。→決着は付かず

独・無制限潜水艦作戦(1917)
「すべての船を無警告で撃沈する。」
が怒る。米参戦を決定。(1918)
ウィルソン大統領
十四カ条の発表

ロシアの単独講和
ブレスト=リトフスク条約(1918)
ロシア革命が起こり、ロシアは戦線離脱。独と休戦

・ブルガリア、オスマン帝国、オーストリア降伏

ドイツ革命(1918~19)
キール軍港の水兵反乱
各地にレーテ(評議会)が成立
皇帝ヴィルヘルム2世は亡命共和制へ・・。

ドイツ休戦協定
第一次世界大戦終結

 


(4)ロシア二月革命
ポイント①ついにロシアで不満が爆発!ロシア二月革命
第一次世界大戦の戦況悪化が革命の引き金に・・

ロシア二月革命(1917)(西暦では三月革命)
第一次世界大戦で民衆が不満を高める。
ペトログラード蜂起(←ロシア読み。「ペテルブルク」は独語)
労働者、兵士も合流。
↓↓
ソヴィエトの結成
労働者と兵士の代表による評議会(会議)。皇帝に対し早く戦争終結を求める。
↓↓
皇帝ニコライ2世の退位
ロマノフ朝の滅亡。皇帝がいなくなり共和制(王や皇帝がいない)へと移る。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②二重権力の時代
臨時政府とソヴィエトが併存するロシア社会の行方

臨時政府
中心:立憲民主党
金持ちが支持。戦争継続の方針。

ロシアの4つの政党
[1]立憲民主党・・富裕層が支持
[2]社会革命党・・農民が支持
[3]メンシェヴィキ・・穏健派
[4]ボリシェヴィキ・・急進派

ソヴィエト
中心:社会革命党・メンシェヴィキ
即時講和(戦争を終わらせる)

二重権力
臨時政府 VS ソヴィエト

レーニン(ボリシェヴィキ)
亡命先のスイスから帰国し「四月テーゼ」を発表。
「すべての権力をソヴィエトへ」臨時政府はいらない。
即時講和を主張。
→臨時政府に追われて亡命

ケレンスキー
社会革命党=ソヴィエトの主導者
臨時政府首相に就任。二重権力のリーダーが同じになった。
→戦争が終わると思いきや、何と戦争継続の方針を継続。
→民衆は社会革命党(ソヴィエト)に失望・・。
↓↓
ボリシェヴィキに期待するようになる・・。

 


(5)ロシア十月革命。史上初、社会主義国家の誕生
ポイント①臨時政府を打倒!ロシア十月革命の勃発
ついにすべての権力がソヴィエトへ結集

ロシア十月革命(1917)(西暦では十一月革命)
レーニン・ボリシェヴィキの武装蜂起
臨時政府の消滅
世界史上初社会主義国家を樹立

全ロシア=ソヴィエト会議
臨時政府打倒とソヴィエト権力の樹立を宣言

「平和に関する布告」の採択
無併合・無償金・民族自決・・領土を取らない。賠償金を請求しない。独立は認める。
全交戦国に講和条約のあり方を提唱した(→欧は黙殺)

・「土地に関する布告
地主廃止
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ボリシェヴィキの独裁体制へ!
レーニンの強引な政権の掌握

ボリシェビキの一党支配

・憲法制定のための選挙を実施
→第1党:社会革命党(農民支持)
第2党:ボリシェヴィキ
(何とレーニン負ける。)

どこにアンチがいるかあぶり出す・・

チェカ(非常委員会)を作る
革命政権を守るための治安組織。秘密警察。

憲法制定会議の開催
1週間で武力で解散。
↓↓
ボリシェヴィキの一党支配に(プロレタリア独裁期間)

ブレスト=リトフスク条約
ロシア全権:トロツキー
との単独講和。第一次世界大戦から離脱

赤軍(せきぐん)の設立
社会主義の色

ロシア共産党と改称
ボリシェヴィキは「多数派」の意味。「ロシア」を政党名に入れて愛国心の高揚をめざす。

モスクワへ遷都
欧とは距離を置くため


(6)内戦と諸外国の干渉
ポイント①国内は混乱!外国勢力も干渉!どうするロシア・・
社会主義政権に反発する内外の勢力

ロシア内戦(1917~1921)
反革命軍白軍・はくぐん)の蜂起
ソヴィエト政権に反対する勢力。地主・貴族・反ボリシェヴィキの反乱+諸外国

対ソ干渉戦争(1918~22)
シベリア出兵。チェコ兵救済を理由に勝手にロシアの領土に入る。

・ポーランド=ソヴィエト戦争
ポ〇 VS ✕ソ

↓↓ これに対してレーニンは・・

コミンテルンを結成
ロシア共産党が中心。全世界で革命を起こさせよう!

(経済政策)
戦時共産主義(1918~1921)
「みんな、ごめん。外国を追い出すから食料を政府がいったんもらうね・・」農作物を強制徴発・食料配給制に。→人々はやる気を失う。生産力低下。
↓↓
新経済政策(ネップ)(1921~27)
穀物徴発制の廃止。小規模私企業、小農の経営を認める。→やる気を取り戻す。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ソ連の誕生!
内戦を終結したロシアは新体制へ移行

・ソヴィエト社会主義共和国連邦(1922)
(ソ連、ソ連邦)

4つの共和国で発足
ロシア
ウクライナ
ベラルーシ/白(はく)ロシア
ザカフカース(現ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン)カフカス山脈の南。
→後に15の共和国に。

・ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法の制定

<各国のソ連承認>
ラパロ条約(1922) がソ連を承認。欧で初。
・英、伊、仏、日の順に承認。
アメリカのソ連承認(1933)→ソ連国際連盟加入。

 


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【34】帝国主義とアジアの民族運動

【34】帝国主義とアジアの民族運動
(1)インドの反英運動
(2)東南アジアの民族運動
(3)西アジアの民族運動


(1)インドの反英運動
ポイント①当初は親英的?インド国民議会の結成
インドの民族運動を懐柔するためにイギリスが取った政策

<インド民族運動の形成>
インド国民会議の結成(ヒンドゥー教徒中心)ボンベイ
がインド支配にあたってインドの知識人を抱き込む。「君たちの意見を政策に反映させるよ」。
↓↓
国民会議派
インド国民会議に参加した人々による親英的な政治結社。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②イギリスなんて早く出ていけ!
親英的な組織が反親英組織へ・・

反英運動の高まり>
ベンガル分割令(1905)(カーゾン法)
ベンガルでイスラーム教徒とヒンドゥー教徒を分けて住まわせる政策。
↓↓
英は宗教対立を引き起こして団結するのを防ごうとした。国民会議派に見破られた。
↓↓
国民会議派は激怒。親英から反親英に。
↓↓
カルカッタ大会4綱領(こうりょう)の採択
国民会議派の急進派・指導者:ティラク
4つの綱領
[1]英貨排斥(えいかはいせき)(英製品の不買)
[2]スワデーシ国産品愛用)スワ「自分の」デーシ「国の」
[3]スワラージ自治の獲得)スワ「自分の」ラージ「支配」
[4]民族教育

英は焦る。
↓↓
全インド=ムスリム連盟を発足。
の支援で結成。インドのイスラーム教徒の政治団体。
VS
国民会議派 ヒンドゥー教徒

ベンガル分割令撤回(1911)
撤回はされたが宗教対立は残ってしまった。


(2)東南アジアの民族運動
ポイント①ベトナム・インドネシアの民族運動
フランス・オランダに対する民族運動の行方・・

ベトナム民族運動
フランス支配下・仏領インドシナ
ファン=ボイ=チャウ
維新会の結成(←日本の明治維新を参考にしている)
↓↓
ドンズー(東遊)運動=日本に留学生を多く送る。
ベトナムの近代化をめざす。日露戦争での日本の勝利に影響。

↓↓ しかし・・日本と手を組みドンズー運動は弾圧を受ける。

ベトナム光復会(今度は中国をモデルに)

インドネシア民族運動
オランダ支配・オランダ領東インド

サレカット=イスラーム結成
「イスラーム同盟」という意味。商人や知識人を中心に組織を拡大。自治を要求。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フィリピンの民族運動
スペイン支配の次はアメリカ支配!?

フィリピン独立運動
スペイン支配下
ホセ=リサール
小説でスペインを批判。銃殺刑に・・。

アギナルド
スペイン支配からの独立をめざしフィリピン革命をおこす。革命政府大統領になったがスペインに追われて逃げる。
↓↓
米西(アメリカ=スペイン)戦争(1898)
アギナルドが米の援助で帰国。フィリピン共和国の建国。スペインからの独立
↓↓ ところが・・
フィリピンは米の領土になってしまう。
↓↓
フィリピン=アメリカ戦争(1899~1902)
フィリピン✕ VS 〇アメリカ
アギナルドは反米闘争→逮捕。フィリピンは独立できず米支配に。


(3)西アジアの民族運動
ポイント①オスマン帝国では立憲運動が再発!?
日露戦争の影響がオスマン帝国にまで届く

オスマン帝国立憲運動
・皇帝アブデュル=ハミト2世(位1876~1909)
ロシア=トルコ戦争時に、ミドハト憲法を停止した。
↓↓
領土縮小。もう一度皇帝の力を抑えようという動き。
↓↓
「青年トルコ人」の結成
中心団体:「統一と進歩団
日露で勝った日本に影響。憲法復活をめざす
↓↓
青年トルコ革命(1908)
ミドハト憲法復活!(日露戦争の影響)
皇帝アブデュル=ハミト2世→退位
オスマン帝国は立憲君主制を確立。
(しかしもう遅かったか・・。列強の植民地支配から脱却できず。)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②イランの立憲運動の行方
英露の干渉に耐えるイランで起きた運動とは?

イラン立憲運動
パン=イスラーム主義
アフガーニーが提唱
「全てのイスラム教徒が団結して、欧米の帝国主義に対抗しよう」
↓↓
タバコ=ボイコット運動(1891)
イランの民衆が反英、反国王運動。

イラン立憲革命(1905~1911)
日露戦争の影響。日本の明治維新を参考にして仮憲法の制定、国会開設までいくも・・
↓↓
英露協商(1907)
ペルシア分割(イランの領土が一部英露に支配される)
北部:露領(カスピ海の南半分周辺)
南部:英領(ペルシア湾周辺)
※英と露はイランをめぐって対立していたが、独に対抗するため手を結ぶ。
↓↓
イラン立憲革命は英露が干渉し、つぶす。

憲法制定して国内を立て直し、外国を追い出す。
⇒オスマン帝国は成功〇、イランは失敗✕。

 


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【33】帝国主義と東アジア(中国・朝鮮)

【33】帝国主義と東アジア
(1)中国分割と近代化運動の行方
(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
(3)朝鮮の行く末と清末の改革
(4)辛亥革命
・義和団事件1900→8カ国共同出兵→北京議定書1901
・日露戦争1904→ポーツマス条約1905


(1)中国分割と近代化運動の行方
ポイント①日本に負けた!?植民地化がさらに加速!
日清戦争後の中国の状況は?

中国分割
借款(しゃっかん)を行う=「借金」のこと
日清戦争への賠償金を払うために欧から借りる。担保として鉄道敷設(ふせつ)権鉱山採掘権を奪われる。

租借(そしゃく)・・他国の領土の一部を条約によって借りること(事実上の領土割譲)(ジャイアン・・。一生借りてるだけだぞ。)

米は米西戦争(1898)で中国に構ってるひまがなかった。出遅れて焦った
↓↓
門戸開放宣言
門戸開放・機会均等・領土保全(米も入れてくれ)
米・国務長官ジョン・ヘイ

租借地>借りると言いつつ、ほぼ領土割譲
 独 膠州湾(こうしゅうわん)
 露 遼東(りょうとう)半島南部。旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)
 英 威海衛(いかいえい)、九竜半島(クーロン/きゅうりゅう)
 仏 広州湾(こうしゅうわん)
 日 遼東半島南部(旅順・大連)(※日露戦争で日本に移る)
<勢力圏>影響力を持っていた地域 鉄道敷設権
 独 山東省(さんとうしょう)
 露 満州・モンゴル 東清鉄道
 英 長江流域
 仏 広東・広西・雲南省
 日 福建省 南満州鉄道

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②日本にならって近代化を!
中国で芽生えた本格的な近代化運動

変法運動
日清戦争に負けた中国はショック!
↓↓
近代化運動へ・・(皇帝中心)

・11代 光緒帝(こうしょ/ちょてい)(位1875~1908)
康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう) などの、官僚らが日本の明治維新を模範にする。公羊学(くようがく)派。

憲法を立てて、皇帝を立てる=立憲君主制をめざした。(皇帝が好き勝手に政治をするのではなく、憲法やルールにのっとって政治をする。)

戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)
立憲君主制をめざし憲法制定に動いたが・・
↑↑(弾圧)
戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)(1898)
西太后(せいたいこう)など保守派が改革を弾圧。改革は失敗に終わる。光緒帝は幽閉状態へ・・。


(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
ポイント①外国勢力は出ていけ!中国で起きた排外運動
義和団事件とその結果は・・

「外国勢力、全員出ていけ!」
・仇教運動(きゅうきょううんどう)
反キリスト教(反ヨーロッパ)運動

・義和団事件(白蓮教系の宗教結社)(北清事変)(1900~1901)
扶清滅洋(ふしんめつよう)」・・を助けて、を追い出そう。
排外主義

ドイツ人宣教師が殺害✕→ドイツが山東へ進出。武力鎮圧。
↓↓
清は「こいつら使える・・」と、この義和団を使って欧を追い出そうとした。
↓↓
義和団が北京占領。独公使、日公使を襲う。
清「欧米日かかってこいやー!」西欧列強に宣戦布告。(西太后)
↓↓
8カ国共同出兵

「ほな、やったろかい」英仏独米露日伊墺。そうそうたるメンバー集結。
↓↓
清・義和団敗れる。北京占領される。
↓↓
北京議定書(1901)
・巨額の賠償金。
北京駐兵権(軍事占領)⇒中国半植民地化になる・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②日本とロシアの狙った場所が同じ!?
日露戦争へとつながる両国の帝国主義政策とは・・

<ロシアの中国東北進出>
義和団事件のあと、日本とロシアの仲が急速に悪化・・。

・ロシアの満州占領
義和団事件が終わったのに、ロシア満州から軍をひかない。中国東北地方朝鮮半島まで狙ってる・・?(『はいからさんが通る』)

※朝鮮は日清戦争1894で独立し、国名を大韓帝国(だいかんていこく)に。清の影響から抜けた独立国とアピール。日本が狙っていた。

ロシア満州・大韓帝国の取り合い。
↓↓
日露戦争(1904~1905)
日本の攻撃で始まる。

日本海海戦で日が勝つ。
ロシアの海軍バルチック艦隊を破る。

↓↓ そんな中、、ロシア国内で

第1次ロシア革命
ロシアは革命で戦争をやめたい。日本もお金が厳しい。
↓↓
米・セオドア・ローズヴェルト大統領が仲介。
↓↓
ポーツマス条約(1905)(米)
→中国東北(満州)・大韓帝国(朝鮮)を日本が得る

大韓帝国指導・監督権を日本が得る。
・ロシアは中国東北から撤退。遼東半島南部の租借権をロシアから日本に渡す。(⇒関東州と呼ぶようになる。)(※遼東半島は日清戦争で日本が取得したが三国干渉で返したところ。ここを再度取り返した。)
・遼東半島に接続する南満州鉄道敷設権(ふせつけん)、周りの利権を日本が得る。
南樺太をロシア→日本に渡す。


(3)朝鮮の行く末と清末の改革
ポイント①日本の朝鮮支配完成
日露戦争後の日本の挑戦支配の動向

・日韓協約(1904~07)
(第1次は日露戦争のさなか。)

第2次日韓協約(1905)
韓国の保護国化外交権を朝鮮から奪う。
初代統監:伊藤博文(いとうひろぶみ)
↓↓
反日義兵闘争の激化

ハーグ密使事件(1907)
高宗が第2回万国平和会議(オランダ)に密使を派遣。日本が不当な支配をしていると訴えた⇒失敗
↓↓
第3次日韓協約(1907)
韓国は内政権を喪失。
↓↓
伊藤博文暗殺(1909)
ハルビン駅で安重根(あんじゅうこん)に暗殺される。(韓国の切手にもなっている。)

↓↓ 日本は強硬手段に出る

韓国併合(1910)
韓国という国は消え、日本領土に組み込まれた。
朝鮮総督府が設置。(天皇直属機関)
軍事・行政を統括していく。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②清朝末期の最期の「あがき」とは?
光緒新政の「本音」と「建て前」

義和団事件のあと・・
<清末の改革>
光緒新政(こうしょしんせい)・・国内改革
(戊戌の政変で光緒帝は捕らえられている)
新軍の整備(西洋式軍隊)
科挙の廃止(隋から続く)→北京大学創設(官僚育成)
憲法大綱(たいこう)の発布。
日本の明治憲法を模範(強力な君主権)
国会開設公約

「日本の大日本帝国憲法は、天皇大権(たいけん)という強い権力がある。」
↓↓
「建前は国内改革と言ってるが、本音は皇帝や貴族のためでは・・?日本をモデルにすると皇帝の力が強いままになるのではないか。。」
↓↓
「それならもう満州人を追い出して、皇帝も追い出して、自分たち民衆のための漢民族の国を作りたい。」
↓↓
革命派の台頭
留学生が中心。
華僑が資金を出す。

革命派のリーダー
孫文
興中会
の結成。
↓↓
他の革命団体も一緒に団結しよう。
中国同盟会の結成(1905)
東京で結成。日露戦争に刺激を受けた。機関誌『民報

(中国同盟会の理念)
三民主義
民族の独立(漢民族の独立)
民権の伸長(一般民衆の権利を認めよう)
民生の安定(人々の生活の安定)


(4)辛亥革命
ポイント①皇帝政治を終わらせ、民に力を!
中国2000年の皇帝政治の終焉

辛亥革命(1911~12)
(きっかけ)清が幹線鉄道の国有化を宣言。
これを担保に外国からお金を借りようとした。そんなことをしたらさらに中国の植民地化が進む・・。
↓↓
四川暴動
市民が四川省で暴動。清は軍隊を派遣したが、その軍が清を裏切った。
↓↓
武昌蜂起(1911)
湖北省の湖北新軍の革命派が武昌で蜂起。色んな省でも独立を宣言。

↓↓ これら各省の代表者が集まり合体した。

・中華民国建国(1912)
臨時大総統:孫文
都:南京
(黃河、長江沿岸あたり)
↓↓
はまだ北に残ってる。清は中華民国をつぶそうとしている。
↓↓
清の大臣、袁世凱(えんせいがい)が孫文と取引を行い、清を裏切る。「その代わり私を中華民国のリーダーにしてください」

→「中華民国の軍は整っていない。戦っても清の軍に負けるだろう・・。」孫文は受け入れる。

→清の最後の皇帝・12代宣統帝(溥儀)が退位(1912)(ラストエンペラー)

清が滅亡(277年の歴史)。2000年の皇帝政治が終わる・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②新生!中華民国の抱えた苦悩
皇帝政治が終わっても民が虐げられる時代へ・・

中華民国
臨時大総統:孫文→袁世凱が就任(1912)
首都:南京⇒北京へ移す。(袁世凱の本拠地)
民衆のためではなく独裁色を強める。
↓↓
袁世凱の暴走を防ぐべく国民党の結成。
中国同盟会が中心。
↓↓
・第二革命(1913)
〇袁世凱の独裁  VS  ✕国民党(→解散させられた)
正式な大総統に就任。袁世凱は皇帝になろうとした。
↓↓
・第三革命(1915)
袁世凱帝政  VS 〇国内の軍部(袁世凱の元部下)、革命派、日本、欧。
↓↓
袁世凱は帝政取り消し。数ヶ月後、病死・・。その後も民主政治にはならず軍部が力を握る。
↓↓
軍閥(軍事政権)の割拠。
軍部が力を持ち抗争する。北京政府の実権をめぐって争う。


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【32】世界分割と列強の対立

【32】世界分割と列強の対立
(1)アフリカ分割の始まり
(2)英のアフリカ進出
(3)仏のアフリカ進出
(4)独・伊のアフリカ進出
(5)欧米の太平洋地域進出
(6)ラテンアメリカ・メキシコの動向
(7)列強の二極化。三国同盟VS三国協商


(1) アフリカ分割の始まり

ポイント①アフリカってどんなところ?
「暗黒大陸」の悲惨な歴史と探検家の活動

「暗黒大陸」
奴隷の獲得⇒資源の獲得
プランテーションの労働力。
商品作物。サトウキビ、タバコ、綿花

大西洋三角貿易(16~18C)
黒人奴隷貿易
1.西欧⇒西アフリカ(武器)
2.西アフリカ⇒米大陸(奴隷)黒人2000万人ほど
3.米大陸⇒西欧(商品作物)

奴隷制度の廃止(19C)
奴隷以外にアフリカには何がある・・?
↓↓
2人の探検家
[1]リヴィングストン(英・宣教使)
ナイル川の水源調査。消息不明。
↑↑(救出)
[2]スタンリー(英生まれ米)
リヴィングストンの救出に成功。
→コンゴ(アフリカの真ん中)探検。(ベルギー王が支援)。
→ベルギー王コンゴの領有を宣言
の反発。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②アフリカをもらうなら「早い者勝ち」!?
ヨーロッパ国際会議で決定した驚きの事実とは・・

ベルリン会議(1884~85)
(※「ベルリン会議」は2つある。1つ目は19Cロシア南下⇒ロシア=トルコ戦争のあと。ビスマルク調停(1878))

今回もビスマルク主催。
先占権(せんせいけん)(早い者勝ち)⇒アフリカ分割に拍車をかける。
コンゴ自由国ベルギーの支配下に。


(2)英のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部への進出
何があってもエジプトとスーダンだけは他国に渡せない!

英の縦断政策(アフリカ北部)>
スエズ運河ができたことで、英のアフリカ進出が始まる。
スエズ運河
沿いの2つの国、エジプト(北)・スーダン(南)が欲しい。安全性を確保したい。

<英がエジプトに進出>
ウラービー運動(1879~82)
陸軍大臣アフマド・ウラービー「エジプト人のためのエジプト」。→鎮圧される→エジプトは英の保護国化に。

<英がスーダンに進出>
マフディーの反乱(1881~98)17年
マフディー=「救世主」の意味。
ムハンマド・アフマド。
総督ゴードン戦死。
(↑ 清の太平天国の乱を鎮圧した常勝軍。)
↓↓
ファショダ事件(1898)
✕仏 VS 英〇
スーダンのファショダという地で対峙(にらみ合い)。

英の3C政策
ケープタウン(南ア)、カイロ(エ・埃)、カルカッタ(印)。
インドへの道を盤石なものにしたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②金とダイヤモンドをめぐる南アフリカ戦争
ブール人国家との戦争

<英アフリカ縦断政策(南アフリカ)>

ケープ植民地(中心ケープタウン)南ア
元々オランダ領だったが、ナポレオンなきあと欧の国際秩序のためのウィーン会議(1814)で蘭領から→英領となる。
(→オランダの人は北へ移動し、トランスヴァール共和国を建国。ブール人と呼ばれる。)

セシル・ローズ
英領有の南ア・ケープ植民地の首相。元企業家。金・ダイヤモンド鉱山を発見!

金が見つかったのは隣の、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国。(英領ではない。ケープ植民地の北東)。ブール人(=オランダ人)の国。→大義名分などない、金とダイヤの争奪。
↓↓
南アフリカ戦争(1899)
英本国から派遣⇒植民相ジョゼフ=チェンバレン
全植民地統括の大臣が来る。40万人以上の兵。
〇英 VS 蘭✕
↓↓
南アフリカ連邦(自治領)
(ケープ植民地と、トランヴァール、オレンジを併合)
白人を優遇。白人優位の人種差別が芽生える。黒人と白人の対立を作ることで英本国への恨みをそらす。

 


(3)仏のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部から東西へと拡大
イギリスのアフリカ縦断政策と衝突した結果・・

仏アフリカ横断政策
モロッコ・アルジェリア・チュニジア
サハラ砂漠・ジブチ・マダガスカル

アルジェリア出兵。植民地化(19C前)
(ウィーン会議で絶対王政に戻り、仏ブルボン朝が復活。王シャルル10世。国民の不満を外へ向けた)

アルジェリアを起点に東西に拡大。
チュニジア保護国化(1881)(アルジェリアの東横)
と関係悪化⇒独ビスマルクは見逃さない。翌年・三国同盟(独・オーストリア・伊)(1882)

ジブチを建設。(紅海の一番下)
紅海からインド洋への出口。

マダガスカル(アフリカ南東の島)
サハラ砂漠(アフリカ西)

ファショダ事件(1898)
スーダンのファショダで対峙。英〇 VS ✕仏
(仏が譲った理由)とけんか状態。英ともけんかすると敵が増えてしまう・・。仏は英に譲る。
↓↓
英仏の関係が良くなる。
↓↓
英仏協商(1904)
英はエジプト取るから仏はモロッコ行きなよ。相互承認。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②モロッコをめぐるドイツとの対立
2度にわたって衝突!イギリスが取った行動は?

モロッコの領有問題
モロッコを押さえると、英のインド進出を邪魔できるので、が狙っていた。

第1次モロッコ事件(タンジール事件)(1905)
モロッコをめぐって、 VS 対立。独皇帝ヴィルヘルム2世がモロッコのタンジール港に入ってきた。仏出ていけ。
→英援助 〇仏 VS ✕ 独
(タンジールはイブン・バットゥータの生まれ故郷。スペインの向かい・ジブラルタル海峡のアフリカ側)

第2次モロッコ事件(アガディール事件)(1911)
また独はモロッコ・アガディール港に入る。
英援助 〇仏 VS ✕ 独

仏モロッコ保護国化(1912)


(4)独・伊のアフリカ進出

ポイント①ドイツ・イタリアのアフリカ進出
イギリス・フランスに遅れを取って進出開始

<独>
カメルーン(西)、東アフリカ植民地(現タンザニアなど/マダガスカル島の対面北)

<伊>
・イタリア軍がエチオピアに侵入
エチオピア〇勝利! VS ✕伊
イタリア敗北!

イタリア「このままではアフリカに植民地を持てない・・」と焦る
↓↓
・イタリア=トルコ戦争
オスマントルコとの戦争でリビア(アフリカ北)を獲得。

・ソマリランド(アフリカの角/つの)獲得。
北から英仏伊で分けた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦開始まで独立を保持した2つの国
独立を維持できた要因は?

独立を保持した2つの国

[1]エチオピア帝国(東)
アドワで撃退。優秀な君主。の軍事支援もあった。

[2]リベリア共和国(西アフリカの海岸線)
アフリカ最初共和国。アメリカで解放された黒人たちがアフリカに帰ってきて作った国。国名はLibertyリバティ(自由)から。                                                →主権国家として認められていたので欧は手を出せなかった。


(5)欧米の太平洋オセアニア進出

ポイント①オセアニアってどういうところ?
2人の探検家に注目!

・オセアニア・・オーストラリア、ニュージーランド、太平洋に浮かぶ島々の辺り。

2人の探検家
[1]タスマン(17Cオランダ人)タスマニア・ニュージーランドに到達。オーストラリア大陸。

[2]クック(18Cイギリス人)タヒチ、NZ、オーストラリアを探検。オーストラリアやNZを英の所有と宣言。(侵入者と勘違いされハワイで島民に殺害される。)
↓↓
オーストラリア
先住民:アボリジニー
1850年代 金鉱の発見。英本国やアジア各地から移民が増える。
→英自治領に。オーストラリア連邦

ニュージーランド
先住民:マオリ人
→英自治領に。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②太平洋に浮かぶ島々も欧米諸国の領土に!?
オセアニア諸地域の分割へ

・列強諸国の南洋諸島(太平洋の島々)進出
ニューギニア
西部:オランダ|東部英・独

・英領・・ソロモン諸島(独と分割)、フィジー、トンガ
・仏領・・ニューカレドニア、タヒチ
・独領・・ビスマルク諸島、マリアナ諸島、マーシャル諸島
・米領・・フィリピン、グアム島、ハワイ


(6)ラテンアメリカの従属化
ポイント①メキシコの内乱とフランスの干渉
初の先住民出身の大統領の苦悩

<ラテンアメリカ>
19C前半に多くの国が独立を達成。ベネズエラ、コロンビア、ボリビア、エクアドル(シモン・ボリバル)。ペルー、アルゼンチン、チリ(サン・マルティン)。ブラジル
→独立したものの、英の経済的従属下に置かれる。メキシコだけは例外!

<メキシコ>
フアレス〇→ディアス✕→メキシコ革命・マデロ△→サパタ・ビリャ→憲法

フアレス大統領先住民インディオ出身
自由主義革命(インディオの権利獲得など)

↓↓ 保守派が抵抗。

メキシコ内乱(1861~67)
この内乱に仏ナポレオン3世がちょっかいを出してくる。(仏メキシコ出兵)→が、フアレスはナポ3を追い出す。米も抗議。良い改革、国作りへ・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②メキシコ革命の勃発!
近代化を成し遂げられるのか!?

フアレスのあと・・
ディアス大統領
独裁政治
。地主階級の特権を復活させてしまう。(先住民切り捨て)。
英、米から莫大な借金。頭が上がらない状態に・・。

↓↓ メキシコが食い物にされる!

メキシコ革命(1910~17)
マデロ大統領が、ディアスを打倒し自由主義的改革をしたが、土地の改革には消極的だった。地主の権利を守ったまま。。
↓↓
サパタ・ビリャ(農民の代表)の蜂起。マデロ失脚。サパタ・ビリャも暗殺される・・。
↓↓
憲法制定(1917)
土地改革、地下資源の国有化。民主的。→しかし憲法はうまく機能せず。米、英の従属から逃れられなかった。

 


(7)列強の二極化

ポイント①ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の無謀な政策
第2次産業革命で自信をつけた皇帝の海外進出策

・独皇帝ヴィルヘルム2世(任1888~1918)
第2次産業革命で世界2位になり自信が付く→英を越えるぞ!ドイツも外へ出て行くんだ!

・元々、普仏戦争で、と対立している。
↓↓
(さらに新たな敵)
海軍大拡張により⇒と対立。
パン=ゲルマン主義で⇒ロシアと対立。
3B政策。ベルリン・ビザンティウム・バグダード。ペルシア湾から海へ出ようと考えた。
↓↓
英・露・仏が対立関係に。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生
三国同盟と三国協商の対立

<ビスマルク時代>
・三国同盟(独・オーストリア・伊)1880 軍事同盟

再保障条約(お互い攻めない)ロシアと独
・英「光栄ある孤立」
↓↓
ライバル仏を孤立させることに成功。

<ヴィルヘルム2世時代>
ロシアの手を離したことから、国際関係が変わっていく。。

・独はロシアとの再保障条約を拒否!(1890)
「オーストリアと一緒にバルカン半島に行くんだ」
ロシアの手が離れた・・!これをは見逃さない!キラリ✨
↓↓
露仏同盟(1891)
ロシアに接近。手を組む。仏が露に資金提供⇒露産業革命に成功。

・英海軍拡大に焦りを感じ始める。「光栄ある孤立」をついに解く。
↓↓
日英同盟(1902)
東アジアの防衛に日本の軍事力を当てにした。
英のドアが開いた!ここでにも近づく!
↓↓
英仏協商(1904)
独嫌いだよねーでくっつく。
↓↓
英露協商(1907)
日露戦争が終わってロシアはバルカン半島に戻ってこようとする。またと対立する。ロシアに接近する形を取った。
↓↓
三国協商(英・仏・露)VS 三国同盟(独・墺・伊)になる。
↓↓
第一次世界大戦へ

 


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【31】帝国主義の時代

世界史【31】帝国主義の時代
(1)イギリスの動向
(2)フランスの動向
(3)ドイツの動向
(4)ロシアの動向
(5)アメリカの動向
31ーキーワード
帝国主義・・植民地(市場)を求めて外に出て行く時代
(英)ディズレーリ(保)。インド帝国。スエズ運河+キプロス島。
(仏)第三共和政。
(独)ビスマルク⇒皇帝ヴィルヘルム2世。3B政策。
(露)第1次ロシア革命⇒十月宣言(ウィッテ)⇒社会主義の政党。ボリシェヴィキ(レーニン)、 メンシェヴィキ。
(米)カリブ海政策。米西戦争(25代マッキンリー)。棍棒外交(26代S・ローズヴェルト)。宣教師外交(27代ウィルソン)


31ーガイダンス
・欧米各国で帝国主義(植民地獲得)、労働運動が起こる。
・第2次産業革命(19C後)⇒英以外の欧米。重化学(鉄鋼・造船・石油・電力)。生産増大。強い企業(独占資本)が銀行と結びつく。(第1次は英綿工業)
・1870年代世界的不況。⇒植民地(市場、原料供給、資本輸出)を求めて帝国主義へ。


イギリスの動向(1)
ポイント①イギリスの方向転換?帝国主義へ突入!
19C後以降のイギリスの帝国主義政策

首相ディズレーリ(保守党)(任1868、1874~1880)
自由貿易から⇒帝国主義(植民地獲得)へ方向転換。

インドへの道を確保したい(エジプトルートと南アフリカルート)
スエズ運河株式買収、インド帝国の完成
・ベルリン会議への参加
キプロス島の統治権を獲得。=スエズ運河の真上の島。ロシアが入ってこないように監視。
↓↓
植民地相:ジョゼフ=チェンバレン(保守党)

南アフリカ戦争。英の支配下においた。→南アを安心して通れる。

「対外政策にお金を費やしたい。国内にお金を使いたくない・・」
↓↓
自由党内閣の時
・議会法の制定
上院・下院のうち、下院(一般市民の代表者)の優位を確立。

・アイルランド自治法の成立
しかしWW1で延期⇒イースター蜂起(シン・フェイン党も参加)

<植民地帝国の再編>
・自治領(白人が支配層の地域)を形成していく
自治を与えて、英本国はお金を使わないようにした
カナダ⇒オーストラリア⇒NZ⇒南アフリカ連邦

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②イギリスの労働運動
大英帝国の「光」と「影」

<社会主義運動の高まり>
フェビアン協会
知識人中心(ウェッブ夫妻・劇作家バーナード=ショー)。
改良主義的な社会主義団体。ゆっくりでいいから改善。
↓↓ +他の団体
労働代表委員会・・選挙で議席数を獲得するまでに。
↓↓
労働党(現在まで続く)・・合法的。穏健。議会を通じて社会改革をめざす改良主義。民主的な手段。(暴力は使わない)


フランスの動向(2)
ポイント①混乱が続くフランスの第三共和制
国内の世論を二分化する重大事件発生!

二月革命(1848)の結果、王様がいなくなった。=第二共和政になった。男性普通選挙の実現。→混乱。
↓↓
ナポレオン3世の第二帝政でまとまる。普仏戦争(1870)で捕虜に。
↓↓
第三共和政ができるが混乱・・

・第三共和政(1870/71~1940)
弱さを露呈した、2つの大きな事件
ブーランジェ事件
陸相ブーランジェ。反議会主義的運動。共和制をやめる?→未遂に。

ドレフュス事件(冤罪事件)
ユダヤ系将校ドレフュスがスパイ容疑で逮捕。⇒冤罪だった。仏軍部が隠蔽。反ユダヤ感情をあおる。国内世論が批判。エミール・ゾラ「私は弾劾する」(ドレフュス擁護派)⇒ドレフュスは無罪に。釈放。
↓↓
シオニズム・・自らのユダヤ人国家を設立しようとする運動。イェルサレム(パレスチナ)に戻ろう・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランスの労働運動
フランス革命の意志を受け継ぐ直接行動主義
<社会主義運動>
サンディカリズム
議会や政党の否定。英のような議会ではなく、労働者による直接行動主義。(フランス革命のように自由平等は自分たちで勝ち取るんだ。)↑↑ VS(対立)
フランス社会党(統一社会党 / 社会党)
議会重視。社会主義派が結成。


ドイツの動向(3)
ポイント①ビスマルクの辞職!?ドイツの取った「新航路」
皇帝と意見が衝突したビスマルク

<ドイツ皇帝の交代>
ヴィルヘルム1世(ビスマルクが仕えていた)⇒フリードリヒ(病気で100日で交代)⇒ヴィルヘルム2世(位1888~1918)

ヴィルヘルム2世:「独も植民地を求めて外に出るべき」
VS
ビスマルク:「外交でやっと収めたのに。反対。」
意見衝突。社会主義者鎮圧法の再更新も対立。
ビスマルク辞職(1890)

<ヴィルヘルム2世の対外政策>
[1]海軍の大拡張「ドイツの将来は海上にあり」⇒と対立。

[2]パン=ゲルマン主義
パン=「広げる」の意味。ゲルマン人(ドイツ系民族)オーストリアとの連携。⇒ロシアと対立。
バルカン半島→小アジア→ペルシア湾へ。独から東南方向。
↓↓
独・3B政策(さんびーせいさく)(英露と対立)
ベルリン(ドイツ)、ビザンティウム(トルコ)、バグダード(イラク)を接続する。バグダード鉄道の建設を考えた。⇒もし実現すれば海で英と対立する。また、バルカン半島を狙うロシアとも対立する・・。
(cf 英・3C政策。ケープタウン、カイロ、カルカッタ)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ドイツの労働運動
ドイツで生まれた新しい社会主義の潮流

世界初の社会主義政党
ドイツ社会主義労働者党(ビスマルク時代)
社会主義者鎮圧法
ビスマルクは警戒し、この労働者党を非合法化した。せっかく統一したドイツが資本家と労働者に分裂するのを避けたかったから。⇒労働者・失業者は国が守ると主張。
↓↓
ビスマルク退陣
↓↓
ドイツ社会民主党
「復活のチャンスだ!」名前をこれに変える。マルクス主義理論を採用。暴力革命を提唱。
↓↓ 徐々にこちらへ変わっていった
修正主義
ベルンシュタイン。議会を通じて社会主義化を提唱。改良主義。
(英の労働運動を参考にした。)


(4)ロシアの動向
ポイント①急激な近代化で生まれた社会の歪み
フランス資本の導入で産業革命を急いだ結果・・

ロマノフ朝(皇帝独裁政治)
南下して穀物を輸出して産業革命したい・・
⇒仏資本の導入。露仏同盟(1891)
⇒ロシアの近代化。産業革命の本格化
↓↓
シベリア鉄道の建設(1891)
中国方面に進出したい。全長9300㎞。
(ウラジオストク(東)からモスクワ(西)まで)
ペテルブルグ(西端)

中国東北をめぐって日本と衝突。⇒日露戦争(1904)

血の日曜日事件(1905)
戦争反対の市民デモ。軍隊が発砲。ニコライ2世
↓↓
第1次ロシア革命(1905)
労働者中心に暴動・スト。
↓↓
都のペテルブルグで、ソヴィエト(評議会)が成立=各地の工場の代表者が集まって話す会議。
↓↓
日露戦争終結
ポーツマス条約(1905)

戦争は終わったが革命は終わらない。
・「十月宣言」(革命を終わらせる)
起草者:ウィッテ
ドゥーマ(国会)を開設。
・憲法制定。立憲民主党の結成。(お金をもっている人たち)
↓↓
ウィッテは首相となり、民主的な、自由主義的な改革を行う(革命は収束へ・・)
↓↓
改革が落ち着くと突如ウィッテは首になった。
↓↓
ストルイピンの改革
ドゥーマ(国会)を解散
ミール(農村共同体)を解体。⇒国内は混乱。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ロシアの労働運動
労働者は不満爆発!多くの社会主義者政党が登場

<社会主義運動>
ロシア社会民主労働党
2つの社会主義政党に分裂(この2つは労働者を代表)
↓↓
[1] ボリシェヴィキ(指導者:レーニン
革命家による武装革命。(少数で一気に壊す。)

[2]メンシェヴィキ (指導者:プレハーノフ)
ブルジョワ民主主義革命。(多数でゆっくりで革命する。)

社会革命党
ナロードニキの流れをくむ。こちらは農民を代表。
テロリズムによる専制政治の打倒をめざす。


(5)アメリカの動向
ポイント①世界第1位の工業生産数
イギリスを抜いた合衆国の未来とは・・

<独占の規制>
1890年代。米が世界No1に。
一部の富裕層が独占。政治的にも強くなる。
↓↓
革新主義(進歩主義)
政治経済の独占の規制。経済自由化。

カリブ海政策(20C初)>(米の海外進出)
米がいよいよ外へ出ていく。
↓↓
第1回パン=アメリカ会議
「アメリカの製品を買いなさい」。中南米(ラテンアメリカ)の国々に指導。

・フロンティアの消滅(1890)
白人入植者が全域に広がった。

ーーーーーーーーーー

ポイント②カリブ海政策の推進
2人の大統領とその時代の海外進出方法

[1]25代・マッキンリー大統領(任1897~1901)
アメリカ=スペイン(米西)戦争(1898)
米はカリブ海へ進出。中南米に影響力のあったスペインと戦う。
〇米 VS 西✕

きっかけはキューバ独立運動1895キューバはスペインから独立を試みようとしていた。
↓↓
そんなときハバナ湾で米艦隊メイン号が撃沈。米はスペインのしわざとしてスペインに戦争をしかける。スペインは「え?」(米の自作自演?)
↓↓
米はフィリピン、グアム、プエルトリコという西の植民地を獲得。
キューバを独立させて保護国化
↓↓
さらに太平洋へも進出。
ハワイ併合(1898)
(※米西戦争の結果ではなく単独で。)

門戸開放宣言(1899)
国務長官 ジョン=ヘイ
中国市場への進出をも狙う。門戸開放、機会均等、領土保全。

[2]26代・セオドア・ローズヴェルト大統領(任1901~09)
「カリブ海政策」を引き続き推進。

・「棍棒外交」(20C初)
口調は穏やかに、棍棒をたずさえて話す。(威嚇)
(例)無理やりパナマをコロンビアから分離・独立。

パナマ運河の建設(1904~1914)
中米と南米の間。カリブ海と太平洋を接続。

ーーーーーーーーーー

ポイント③ウィルソン大統領の時代に起きた変化とは?
合衆国が持つ外交上の「使命」

28代・ウッドロー=ウィルソン大統領(任1913~1921)
・米国内「新しい自由」
弱者救済。

・対外「宣教師外交
「アメリカと同じ民主政治をすればアメリカと同等に発展できるよ」
米風の政治を世界に伝える。それが米国の義務
↓↓
現在でも米は独裁政治を嫌う。世界へ干渉する口実。

 


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【30】アジア諸地域の植民地化

【30】アジア諸地域の植民地化
(1)フランスのインドシナ進出
(2)オランダ・イギリスの東南アジア進出
(3)イギリス東インド会社のインド経営
(4)オスマン帝国の衰退
(5)オスマン帝国の近代化
(6)イラン・アフガニスタンの植民地化


30ーキーワード
<東南アジア>
・仏⇒仏領インドシナ(ベトナム・カンボジア・ラオス)
・蘭⇒オランダ領東インド(インドネシア)
・英⇒マレー連合州(マレーシア)=海峡植民地(シンガポール、ペナン、マラッカ)+α。ミャンマー。
<インド>
・英⇒印:シパーヒーの反乱(1857)⇒ムガル帝国滅亡(1858)⇒インド帝国(1877)
<オスマン帝国>
・アブデュル=メジト1世「タンジマート(恩恵改革)」
・ミドハト=パシャ「ミドハト憲法」(1876)
<その他>
・ウラービー運動(エジプトの反英運動)
・タバコボイコット運動(イランの反英運動)


30ーガイダンス(1~6)
・東南アジア・・仏・蘭・英(仏は中国への中継基地がほしい)
・インド・・英の単独支配(英仏の戦争に英が勝ったため)
英本国ではなく英東インド会社(貿易会社)がインド経営をする。(ある変化が。。貿易→徴税)
・西アジア・・オスマン帝国の衰退・近代化。イラン・アフガニスタンなど。


(1)フランスのインドシナ進出
ポイント①ナポレオン3世のインドシナ進出
なぜこのタイミングでベトナムを攻めるの?

(ナポレオン3世)がインドシナ(=現ベトナム・カンボジア・ラオス)に進出。

<ベトナム>
阮朝(げんちょう)/ 越南国
建国:阮福映(げんふくえい)。仏宣教師ピニョーが支援。
清の朝貢国(弟分)。清からは越南国(えつなんこく)と呼ばれる。

ラオス  |ベ
_________|ト
カンボジア|ナ
_________|ム

仏のインドシナ(ベトナム)進出理由は・・
→アロー戦争で仏は中国進出を始めた。中継基地が欲しかった。
↓↓
仏越(ふつえつ)戦争。〇仏ナポ3世 VS 越✕
仏がベトナムのサイゴンを獲得。
カンボジアを保護国化。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②フランス領インドシナ連邦の成立
ベトナム・カンボジア・ラオスの植民地化

ユエ条約・・ベトナム保護国化
↓↓
(兄)がベトナム(弟)の宗主権(指導する権利)を主張。(清は仏にクレーム)(朝鮮の時と同じ。清は日本にクレーム。)
↓↓
清仏戦争(〇仏 VS 清✕)(1884~5)
天津条約・・清はベトナムの宗主権を放棄
↓↓
・仏領インドシナ連邦
(1887~1945)
(現ベトナム・カンボジア・ラオス)

 


(2)オランダ・イギリスの東南アジア進出

ポイント①オランダのジャワ・スマトラの植民地化
現在のほぼインドネシアにあたる地域をオランダが植民地化

オランダ領東インド
オランダのジャワ・スマトラ(インドネシア)を植民地化

・イギリス=オランダ協定(イギリスとオランダの打ち合わせ)
マラッカ海峡を境界に北は、南はと分けた。

・ジャワ戦争(1825)〇蘭 VS ジャワ✕
⇒蘭は勝ったが、財政窮乏に・・
↓↓
強制栽培制度(1830)
商品作物(コーヒー)⇒ヨーロッパに販売。
オランダ産業革命の資金源になる。
↓↓
・アチェ戦争(1873)
スマトラ島の北端。✕アチェ王国 VS 蘭〇
オランダ領東インド完成(現インドネシア)

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②イギリスが東南アジアを植民地化するわけは?
インド帝国とのアクセスを最優先

英植民地のインド清(中国)をつなぐために(海回り)中継基地としてマレー半島が必要。

ぺナン、シンガポール、マラッカ(=海峡植民地)の獲得
↓↓
マレー連合州(現マレーシア)の成立
プランテーション
(すず)・・華僑(中国)を労働力
ゴム・・印僑(インド)を労働力

ビルマ(ミャンマー)戦争
コンバウン朝を滅ぼしインド帝国に併合

 


(3)イギリス東インド会社のインド経営
ポイント①東インド会社のインド植民地の動き
商業活動を停止された会社が生き残るための工夫

<英東インド会社の進出>
プラッシーの戦い(1757)
インド・ベンガル地方をめぐって争う 〇英 VS 仏✕

イギリス東インド会社(貿易会社)は、ベンガル(インド北東・ガンジス川下流域・豊かな土地)の徴税権を得る。
↓↓
イギリス東インド会社が商業活動停止される(1833)
↓↓
インド統治機関へと移行。
↓↓
<各地で戦争へ>
マイソール戦争(南インド)
マラーター戦争(中部・デカン高原)
マラーター同盟・インドの豪族
シク戦争(北西パンジャーブ地方)シク教徒
あとはムガル帝国のみ。。

<征服地への税制>
ザミンダーリー制
地主・領主から直接地税を徴収。(ベンガル地方)

ライヤットワーリー制
自作農民から直接地税を徴収。(シンド地方、南インド)

徴税に加え、プランテーション経営もするようになる。
→茶、アヘンの栽培・輸出

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②全インドを揺るがす大反乱
イギリスのインド支配における転換期

・シパーヒーの反乱(1857~1859)
シパーヒーとはイギリス東インド会社に雇われたインド人傭兵(ヒンドゥー教徒+イスラム教徒)。薬包に牛と豚の脂を使っていると噂。

デリー城を占拠。ムガル皇帝を擁立
↓↓
インド大反乱に発展。
↓↓
英本国軍が鎮圧。ムガル帝国が滅亡(1858)
↓↓
イギリス東インド会社は解散。統治権は英本国に移る。(=英はただ同然でインドを手に入れる形になった。噂は英本国が流した・・?)

↓↓

・インド帝国1877~1947)成立
初代インド皇帝 ヴィクトリア女王
(ディズレーリ保守党内閣)

植民地なのに「帝国」と付いているのは、他のヨーロッパ諸国に向けた、英はインドを重要視しているというメッセージ。触れたらあきまへんえ・・の威嚇。

分割統治
保守的な藩王国を懐柔。間接統治。(=農民の怒りは地主へ行く。英本国には行かない。)

 


(4)オスマン帝国の衰退
ポイント①アラビア半島での独立の動き
ムハンマドの教えに帰れ!ワッハーブ運動の展開

<アラビア半島>
オスマン帝国支配下で自立の動き
ワッハーブ運動(ワッハーブ派)
ムハンマド時代のイスラーム教復帰を目指す。
↓↓
豪族サウード家と結んでワッハーブ王国建設。
都:リヤド
↓↓
エジプトのムハンマド・アリーの攻撃でワッハーブ王国は滅亡。
⇒アラビア半島の自立は失敗。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②エジプトでの自立の動き
オスマン帝国の部下であって部下でない?

<エジプト自立の動き>
仏・ナポレオンのエジプト占領(1798~99)
→ナポレオンはエジプト先住民(アラブ人)にオスマン帝国(トルコ人)への反抗を呼びかけた。「悔しくないのか?民族の誇りを持つべきだ!」

↓↓ エジプト自立の運動の中心

・ムハンマド=アリー
エジプトからナポレオンを追い出す。オスマン皇帝に変わってエジプト総督の地位を授かる。エジプトの自立・近代化を目指す。

オスマン帝国に要求。

第1次エジプト=トルコ戦争(1831~33)
オスマン帝国にシリアの領有を要求し、開戦。
〇エジプト VS トルコ✕
シリアを獲得

第2次エジプト=トルコ戦争(1839~40)
エジプトとシリアの世襲権要求。
△エジプト VS トルコ(欧の干渉もあり)
⇒シリアを返還。エジプトとスーダンの世襲権は獲得。

ムハンマド・アリーの死後・・

・スエズ運河 開通(1869)at エジプト
(仏・技術者)レセップス
地中海からインド洋に直接行ける。英は喉から手が出るほど欲しい。(英)ディズレーリ内閣。スエズ運河会社の株を買収。支配権獲得

↓↓ トルコの次はイギリスかよ・・

ウラービー運動(反乱)(1881)(エジプトの反英運動)
「エジプト人のためのエジプト」英支配に抵抗するが、鎮圧される。
↓↓
エジプトは英の保護国化に。(英の植民地に・・)

 


(5)オスマン帝国の近代化
ポイント①ついに目覚めたオスマン帝国!
皇帝が率先して行う「上からの近代化」とは?

<オスマン帝国>
・アブデュル=メジト1世
(位1839~1861)
「タンジマート(恩恵改革)」(1839)
ギュルハネ勅令

・皇帝が率先して近代化。「上からの改革」。司法、行政、財政、軍事、文化など。
・非イスラムへの平等課税。法的にも平等。

↓↓ 一定の成果が出たが・・(オスマン帝国を敗れるぐらい成長)

クリミア戦争(1853~56)
〇オスマン帝国 VS ロシア✕
英・仏・サルディーニャ。

タンジマートの成果が出てトルコは勝利!
→しかしトルコは英・仏に借金。財政面では英仏の従属状態に・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②アジア初の憲法が制定されるも・・
立憲君主政への移行と皇帝の思惑

・アブデュル=ハミト2世(位1876~1909)

宰相 ミドハト=パシャ

・ミドハト憲法
(1876)
アジア初の憲法
。(大日本帝国憲法(1889)より13年早い。)

・二院制議会、責任内閣制
立憲君主制への移行を目指した。皇帝の独占ではなく議会で話し合いをしよう。
↓↓
ロシア=トルコ(露土)戦争(1877)
アブデュル=ハミト2世が、皇帝の力を制限されるのを嫌ってミドハト憲法を停止!

宰相ミドハト=パシャを解任(1877)。
戦争の責任を押し付けて島流しに。。

結局、皇帝独裁政治が変わらぬまま、英仏に財政面で頭が上がらないまま・・

 


(6)イラン・アフガニスタンの植民地化
ポイント①イランの植民地化
イランをめぐるイギリスとロシアの熾烈な争い

(イラン)カージャール朝(1796~1925)
北にはカスピ海、南にはペルシア湾。
北から海を求めてロシアが狙う・・。南東から英が狙う。

トルコマンチャーイ条約(1828)
イランにロシアが押しつけた不平等条約。
アルメニアの大半を獲得。治外法権を承認。
(※トルコだがオスマントルコとは関係ない。トルコマンチャーイという町の名前)

↓↓ 何でイラン政府はロシアの言いなりなんだ・・!

バーブ教徒の乱(イスラーム教・シーア派の一派)
イラン・カージャール朝の貧困農民中心の反乱
英・露・弱腰なイラン政府に反対するも、鎮圧される。

タバコ=ボイコット運動(1891~92)(イランの反英運動)
タバコの独占販売権がイラン政府から英業者に渡される。
⇒民衆はタバコをボイコット。知識人(ウラマー)らも含めた反英・反国王運動。
↓↓
鎮圧される。英露のプレッシャーは続く。イランの植民地化は避けられない・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②なぜアフガニスタン?
イギリスはアフガニスタンを絶対に渡したくない!

英の2回のアフガン戦争
アフガニスタンはインドの真上。英はインドが大事。北からのロシアからの侵攻の防波堤として、アフガニスタンは押さえておきたい。
↓↓
第1次アフガン戦争(1838~42)英✕ VS 〇アフガニスタン
何と、英・完敗!

ベルリン会議(1878)
ロシアのバルカン半島方面の南下を阻止した。
↓↓
英「そうするとロシアは違う地域から降りてくるかも・・。やばい。アフガニスタンにも来るかも・・!」
↓↓
第2次アフガン戦争1878~80)英〇 VS ✕アフガニスタン
今度は英勝利。アフガニスタンを保護国化

 


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【29】中国と朝鮮の植民地化

【29】中国と朝鮮の植民地化
19C後から欧や日に侵略されていく
(1)アジア三角貿易とアヘン戦争
(2)アロー戦争と太平天国の乱
(3)ロシアの極東南下と洋務運動
(4)日本の朝鮮進出


<清>
・アヘン戦争(1840)⇒南京条約(1842)
・アロー戦争(1856)⇒天津・北京条約(1860)
↓↓重税
・太平天国の乱(1851~64)洪秀全「滅満興漢」
・洋務運動(1860~90)「中体西用」
<朝鮮>
・江華島事件(1875)⇒日朝修好条規(1876)
・壬午軍乱(1882)⇒閔氏への反乱。閔氏が日から清に傾く。
・甲申政変(1884)開化派(親日)クーデター⇒清に制圧される。
・甲午農民戦争(東学党の乱)(1894)⇒日清戦争(1894)⇒下関条約(1895)⇒三国干渉(1895)


29-ガイダンス
18C後~19C
<中国>
なぜ中国は侵略されていくのか?
・英が産業革命⇒市場を求めて中国(広い領土・多い人口)に進出したい。当時、中国はであふれて世界一お金持ち。

・英は中国を武力で開国⇒アヘン戦争・アロー戦争⇒賠償金から農民への重税へ。⇒農民反乱(太平天国)

中国が弱ってるなら今がチャンス・・!
ロシアの南下⇒洋務運動(国内改革)。

<朝鮮>
日本が朝鮮進出。朝鮮が弟。兄貴分の中国と日本が対立。⇒日清戦争へ・・


(1)アジア三角貿易とアヘン戦争
ポイント①当時のイギリスと中国の貿易をみる
中国社会を腐敗させた恐るべき貿易品・・

清の国内混乱と対外貿易

18C。清の4康熙帝、5雍正帝、6乾隆帝の全盛期は過ぎていた・・
<中国の国内状況>
白蓮教徒の乱(暴動)(1796~1804)
・貿易港は広州1港に限定。
公行(こうこう)=貿易独占の特許商人組合。

<英と中国の貿易関係>
(片貿易)・・物と銀の交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒清 
「英の銀がなくなる・・そうだ!」
 ↓↓
アジア三角貿易>・・物々交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒印 綿製品
・印⇒清 アヘン(お茶代を銀の代わりにアヘンで支払う)
→中毒・需要増大
→アヘン密輸。支払いはで。
→清から銀が流出。英は銀の回収に成功

英は東インド会社の中国貿易独占権廃止⇒民間貿易会社も中国へ行けるようになる。⇒アヘンを売りにいく。
↓↓
英から使節(英が自由貿易を求める⇒交渉決裂✕)
マカートニー・・乾隆帝に謁見。乾隆帝は拒否。
アマースト・・頭を下げない(自由で対等な関係を求める)。謁見できず⇒「力づくでやるしかない・・」

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②中国の植民地化が開始!アヘン戦争
圧倒的なイギリスの強さの前に中国は屈服・・
 
林則徐(りんそくじょ)
アヘンの没収と焼却など。
・中国人密貿易者の処罰
・英商館区の封鎖
 ↓↓
英は「待ってました・・!」これを口実に戦争をしかける。
アヘン戦争(1840~1842)
清が圧倒的に敗北
 ↓↓
南京条約
(1842)
・1港(広州)⇒5港に。+上海、厦門(あもい)、福州、寧波(にんぽう)。中国の南側
公行廃止
・英に香港を割譲
賠償金の支払い⇒民衆に重税
 ↓↓
<不平等条約>
治外法権(領事裁判権)の承認
関税自主権の喪失=安い英製品をそのままの値段で売らなければいけない。
租界の設置。外国人居留地。初めて上海に設置。(英の領土のよう)

<他国とも不平等条約>
対英 虎門寨追加条約 (こもんさい)
対米 望厦条約 (ぼうか)
対仏 黄埔条約 (こうほ)


(2)アロー戦争と太平天国の乱
ポイント①また戦争!?イギリスの不正義な戦争
アロー戦争の結果、中国はどうなる?

「戦争に勝ったけど貿易でもうからないな。港の数増やす?」

アロー号事件(1856)
清朝の警察に中国人船員が海賊容疑で逮捕。アロー号は英の国旗を掲げていた。英に許可を得ず逮捕したのは英を侮辱している!という口実。英は仏・ナポレオン3世を誘って戦争をしかける。
↓↓
アロー戦争(1856~1860)
英・仏〇 VS ✕清
↓↓
天津条約
清が発砲してしまう。戦争再開。
↓↓
・英仏軍が清の都・北京を占領。
・皇帝の離宮・円明園(えんめいえん)を破壊。(伊カスティリオーネ(郎世寧/ろうせいねい)が設計。ヴェルサイユ宮殿を手本)
↓↓
北京条約(1860)
・外国公使の北京駐在(大使館)⇒総理各国事務衙門(がもん)(=外務省)の設置。
キリスト教布教の自由。
南京を含む10港の開港。+天津
・英に九龍半島の南部を割譲
・賠償金⇒重税へ

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②農民への重税で起きた大反乱
清を倒して新しい国づくりを・・

アヘン(1840)、アロー(1856)戦争による農民への重税
↓↓
太平天国の乱
(1851~1864)
洪秀全。「滅満興漢(めつまんこうかん)」

・「神の声を聞いた。天国を樹立する。清(満州人)は滅びるべきだ。」キリスト教の影響。
拝上帝会(キリスト教の結社)。太平天国の建国。
南京を占領⇒天京(てんけい)。

天朝田畝制度(てんちょうでんぽ)。土地を均等に配分。地主廃止
男女平等、纏足(てんそく)廃止・辮髪(べんぱつ)廃止
↓↓
地主が反対。義勇軍・郷勇(きょうゆう)を作る。
湘軍(しょうぐん)・曾国藩(そうこくはん)
淮軍(わいぐん)・李鴻章(りこうしょう)

常勝軍・・ウォード(米)、ゴードン(英)
↓↓
太平天国の乱は鎮圧される。

ロシア「ふーん、中国今弱ってるな~・・」


(3)ロシアの極東南下と洋務運動
ポイント①凍らない港を求め、ロシアが中国を狙う!
ロシアは黒海・地中海方面から→中国方面南下へシフト

【ロシアの極東南下】
4つの条約
[1]アイグン(愛琿)条約(1858)露と清
ロシア・東シベリア総督:ムラヴィヨフ
黒竜江(こくりゅうこう)(=アムール川)以北をロシアとする。
海岸線まであと少し。

[2]北京条約(アロー戦争の調停の代償)(1860)露と清
沿海州(えんかいしゅう)(=ウスリー江以東)の獲得。
(ついに海岸線にたどり着いた!)
・要塞ウラジヴォストーク港を建設

[3]樺太・千島交換条約(1875)露と
(対日)ロシアは樺太全島を獲得(沿海州の真向かい。北海道の北)。                                                                                                                                      千島列島は日本にあげる。

[4]イリ条約(1881)露と清
中央アジア方面に降りるときに。東トルキスタンの一部をロシアが獲得。保険をかけていた。

ーーーーーーー
ポイント②このまま黙っているわけにはいかない!中国の改革運動
ヨーロッパの技術。産業を導入するも・・

【中国・洋務運動(改革)】(1860~1890)

中国「ロシアめ・・。このまま黙ってるわけにはいかない・・」

同治の中興」(中興=安定)
同治帝(摂政は母の西太后)時代

中体西用(ちゅうたいせいよう)」基本精神
国の制(=皇帝独裁・儒学)維持にあたり、西洋の軍事・産業技術(だけ)をいる。富国強兵。
↓↓
中心人物(洋務派)曾国藩・李鴻章(太平天国の乱を鎮圧した2人)
欧風な町並みに。。
→しかし・・清仏戦争、日清戦争のどちらも清が負ける。根本的な富国強兵にはなってなかった。ものまね改革で止まった。


(4)日本の朝鮮進出
ポイント①朝鮮の開国と閔氏の心変わり
日本の朝鮮半島進出と中国との対立

<朝鮮国内の状況>
19C後。国王・高宗(こうそう)←力がない。
后:閔妃(びんひ)。奥さんの一族:閔氏(びんし)。

閔氏(妻の一族)はおいしい思いができると期待していたが・・高宗は力がなく、父の大院君(たいいんくん)が力を持っていた。

⇒閔氏は面白くない。日本と組んで大院君を失脚させた。
⇒日本はそれをきっかけに朝鮮進出
(古代中国で跡目争いで騎馬民族に助けを請うて、あとで乗っ取られるのと似てる・・)

↓↓ 
閔氏の独裁

江華島事件(1875)
日本の船が朝鮮から砲撃を受けた。朝鮮に開国を迫る。
↓↓
日朝修好条規
(1876)
朝鮮・自主独立
3港の開港(釜山/ぷさん・元山/げんさん・仁川/じんせん)
・日本の領事裁判権を承認
↓↓
「閔氏独裁になってから日本が来るようになった・・。前の大院君の方がよかったよ。。閔氏ひっこめ!」
↓↓
壬午軍乱(じんごぐんらん)(1882)
大院君軍による閔氏への反乱。←日・清が鎮圧。

<対応の違い>
清:大院君をつかまえる。閔氏を支援
日:閔氏・朝鮮側へ多くの要求。賠償金払え。
↓↓
閔氏は日本と手を切ってに傾く・・。

朝鮮は真っ二つに
事大党(親清)閔氏ら(保守派)が中心
VS
開化派(親日)留学生金玉均(きんぎょくきん)。日本に学び、近代化を目指す。
↓↓
甲申政変
(こうしんせいへん)(1884)
開化派のクーデター。日本の武力を借りて武装蜂起。閔氏を追放
→清に鎮圧される。
↓↓
朝鮮をめぐって日本がバチバチに・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②朝鮮国内の動乱と日清戦争
朝鮮が国際的に独立国であることが承認される

<朝鮮末期の新思想>
・西学・・キリスト教
東学・・民間信仰+儒教・仏教・道教
創始者・崔済愚(さいせいぐ)
⇒東学の信者はアジア以外、外国を嫌うように。。
↓↓
甲午農民戦争
(こうごのうみんせんそう)(1894)=東学党の乱
「外国勢力は出ていけ!」
朝鮮南部。全琫準(ぜんほうじゅん)の暴動。
→清に助けを求める。が出兵。日本も出兵。
↓↓
日清戦争(1894~95)日〇 VS ✕清
↓↓
下関条約
(1895)
朝鮮独立(清はもう関係ない=清は宗主権放棄)が承認
・日本は清から台湾、澎湖(ほうこ)諸島、遼東半島を獲得。
・開港場での企業の設立
↓↓
三国干渉(1895)
ロシア「おい日本。朝鮮を通って何中国に来ようとしてんだ・・。その遼東半島はオレが狙ってるんだよ!」ロシア・独・仏がクレーム
→遼東半島は清に返還。ロシアへの恨み。臥薪嘗胆
↓↓
閔妃はロシアに接近。→日本は閔妃を殺害(1895)
朝鮮をめぐって日本とロシアとの関係悪化・・。

 


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【28】19世紀の欧米諸国(3)文化史

【28】19世紀の欧米諸国(3)文化史
(1)文学
(2)芸術
(3)哲学・社会主義思想
(4)科学・技術


(1)文学
ポイント①形式的な美しさに対抗し、個性・感情を爆発!
古典主義とロマン主義

<19Cの文学>
古典主義・・形式的な美しさ。ギリシア、ローマ時代から続く。
・ゲーテ(独)『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』
晩年は調和の取れた美しさ、典型的なストーリーに魅了される。

ロマン主義・・個性感情を重視。主観的
・グリム兄弟(独)(兄弟ともに言語学者)『ドイツ語辞典』(方言を集めた)グリム童話。
・ハイネ(仏)『歌の本』革命詩人。パリで七月革命を目にした。
・ヴィクトル=ユゴー(ユーゴー)(仏)『レ=ミゼラブル』虐げられる人々。
・バイロン(英)ギリシア独立戦争に義勇兵として参戦。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②客観性を重視した文学の潮流
できるだけ主観を排した結果、見えてきたものは?

写実主義(リアリズム)・・ロマン主義を否定。客観的
・スタンダール(仏)『赤と黒』仏・七月革命
・バルザック(仏)『人間喜劇』
・トルストイ(露)『戦争と平和』ナポレオン戦争中のロシア
・ドストエフスキー(露)『罪と罰』(露)
・ディケンズ(英)『二都物語』イギリスの下級社会。
↓↓
自然主義・・客観性+社会問題を重視。
・イプセン(ノルウェー)『人形の家』女性解放
・モーパッサン(仏)『女の一生』
エミール=ゾラ(仏)『居酒屋』ドレフュスの冤罪事件(仏政府を批判)


(2)芸術
ポイント①時代を彩る数々の名画が誕生
激動の19世紀の中で生まれた画家が見たものとは・・

<19Cの美術>
古典主義絵画(19C前)・・形式的な美しさ。
・ダヴィド『ナポレオンの戴冠式』

ロマン主義絵画
・ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』。仏七月革命。ギリシア独立戦争でギリシア応援。

写実主義絵画・・客観的にありのまま
・クールベ『石割り』。ナポレオン3世失脚後、パリ・コミューンにも参加。

自然主義絵画・・客観的、人間の内面、社会の真実
・ミレー『晩鐘(ばんしょう)』『落ち穂拾い(おちぼひろい)』

印象派・・戸外制作。光。
・マネ『草の上の食事』『笛を吹く少年』
・モネ『印象・日の出』『睡蓮』(↑↑マネに影響を受けた)
・ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』

後期印象派
・セザンヌ『赤いチョッキの少年』『サン=ヴィクトワール山』
・ゴッホ(1853~1890)『自画像』『ひまわり』

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②音楽だって時代を反映する!
その時代を象徴する音楽、出来事を風刺する音楽

<19Cの音楽>
バロック音楽(17C初~18C半)・・自由でダイナミック
↓↓
ドイツ古典派音楽(18C後~19C初)・・整然とした形式美
・ハイドン
・モーツァルト
・ベートーヴェン(集大成)
↓↓
ロマン主義音楽・・
感情を込める。
・シューベルト『美しき水車小屋の乙女』

・ヴァーグナー(ワグナー)『ニーベルングの指輪』・・ゲルマン民族の物語。楽劇。ヒトラーが愛した。

ショパン(1810~1849)『革命』・・仏・七月革命の影響で、祖国ポーランドが独立を求めてロシアに反乱、鎮圧された。(1830)ロシアへの怒りを込めてこの曲を作った。


(3)哲学・社会主義思想
ポイント①人々が時代に合わせて取った思考プロセスとは
よりよく生きるための方法を生み出す

<19Cの哲学>
ドイツ観念論(批判する哲学)(カントが始めて⇒ヘーゲルが完成)
ヘーゲル 弁証法哲学
「全てのものはある部分から見れば正しい、ある部分から見れば間違っている。」→2つを統合した新しい考え方→また反対意見がある→レベルアップしていく

↓↓ ヘーゲルの考えを応用

史的唯物論
・・「歴史の動き方」に法則を持たせる
マルクス(独)
エンゲルスとともに歴史の発展法則(動き方)を探求→社会主義

功利主義・・利益主義
・ベンサム(英)「最大多数の最大幸福」多数決
↑↑(反対)
・ジョン=ステュアート=ミル(英)「幸福の中身・質にも注目」

実証主義
・コント(仏) 社会学の祖。科学的な方法を哲学に取り入れた。因果関係を見つけていく。

実存主義
・ニーチェ(独・哲学者)「神は死んだ」

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②資本家と労働者の対立をなくすための社会主義
空想から科学へ・・資本主義の矛盾を追及

<19Cの社会主義思想>
資本家と労働者の対立をなくす考え方・・社会主義

空想的社会主義
・ロバート=オーウェン(英)・・社会主義(労働者を助ける)。工場法の制定に尽力。→優しさだけでは根本的な解決にならない。
↑↑(批判)
科学的社会主義
マルクス(独)、エンゲルス(独)・・『共産党宣言』「労働者は革命を起こして、工場から資本家を追い出して、利益は労働者で分配すればいい」「万国のプロレタリア(労働者)よ、団結せよ」


(4)科学・技術
ポイント①経済学にもさまざまな考え方が登場
イギリスに対抗するために生まれた経済学

<19Cの経済学>
(経済学)
歴史学派経済学
リスト(独)・・英に対抗して保護貿易を主張。英は自由貿易を求めてくるが、英の思うツボだ。関税をかけて独国内を守ろう。
ドイツ関税同盟の結成。ドイツ統一に尽力。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②歴史の研究や法学研究にも新展開
合理的に歴史や法を研究する姿勢
<19Cの歴史・法学>
(歴史学)
近代歴史学
ランケ 史料批判を通して実証的・科学的に史実を求める。→現在まで続く。根拠、分析。

(法学)
・サヴィニー「歴史法学」の創始
歴史、民族精神に基づく法律の制定
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント③世界の一体化が促進
地域をつなぐ電信・通信技術の発達

19Cの発明は現在まで直結。
<19Cの科学・技術>
(物理学)
・ファラデー・・電磁気学の発展
・マイヤーとヘルムホルツ・・「エネルギー保存の法則」を発見。ガソリンエンジン。
・レントゲン・・X放射線の発見。第1回ノーベル物理学賞。

(化学)
・キュリー夫妻・・ラジウム、ポロニウムなどの元素を発見。

(生物)
・ダーウィン・・『種の起源』進化論を発表。人は猿から進化した。

(医学)寿命が伸びることに貢献
・パストゥール・・狂犬病の予防接種
・コッホ(独)・・結核菌・コレラ菌を発見

(技術・発明)
・ノーベル・・ダイナマイトを発明。
・モース(モールス)・・電信機。モールス信号。
・ベル・・電話機。
・マルコーニ・・無線電信。
・エディソン(米)・・「発明王」。蓄音機(録音)。白熱電灯。映画(映写機)。


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