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どうする家康(1)「どうする桶狭間」メモ

「どうする家康」第1回メモ(2023年1月8日放送)「どうする桶狭間」

大御所(おおごしょ)
東照大権現(とうしょうだいごんげん)
神の君(かみのきみ)

家康の具足(ぐそく)←鎧(よろい)・兜(かぶと)など一式。
金陀美具足(きんだみぐそく)
久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)博物館所蔵。←ツアーズでやっていた。

1556年(弘治2年)駿府

・家康15才(元信)

徳川家康は今川義元の人質になっていた。
駿河(するが)の国、駿府城(すんぷじょう)にいる。(今の静岡県)
元服も駿府でやった。

三河の国の国衆(くにしゅう)(その国の国民)

松平 次郎三郎 元信(まつだいら じろさぶろう もとのぶ)

・仮名(けみょう)「次郎三郎」の部分
・諱(いみな)=実名(じつみょう)=「元信」や「家康」の部分

今川家
太守様(たいしゅさま)
父:今川義元(いまがわよしもと)
息子:今川氏真(いまがわうじざね)

岡崎家
・駿府にいた家臣
石川数正
平岩新吉(七之助)
鳥居元忠(彦右衛門)

・岡崎で待っていた家臣
鳥居忠吉(とりいただよし)(じい)
酒井忠次(さかいただつぐ)左衛門尉(さえもんのじょう)(えびすくいの人・四天王)
大久保忠世(おおくぼただよ)
本多忠真(ほんだただざね)(忠勝の叔父)
夏目広次(なつめひろつぐ)(夏目漱石の祖先)

本多忠勝(ほんだただかつ)(平八郎)

 

家康が父の墓参りに戻ってきたときは、岡崎城は今川家の代官(山田新右衛門/キャイーン天野君)がおさめていた。

ご城代様(ごじょうだいさま)。城主の留守中に代わって城を管理する者。

 

父:関口氏純(せきぐちうじずみ)
母:巴
娘:瀬名

お戯れを:ご冗談を
無体(むたい)な扱い:乱暴な、無礼な扱い

・家康16才
瀬名と結婚

・家康17才
元信から元康へ改名。
松平 蔵人佐 元康(まつだいら くらんどのすけ もとやす)

・家康18才
嫡男・長男 信康(のぶやす)誕生

・家康19才

「桶狭間の戦い」1560年・永禄(えいろく)3年
家康19才、信長27才

兵糧を持ち込んだのは大高城(おおたかじょう)

鵜殿長照(うどのながてる)がいた。

沓掛城(くつかけじょう)今川本陣

丸根砦(まるねとりで)
鷲津砦(わしづとりで)

下知(げち):上から下へ指図すること
狼藉(ろうぜき):乱暴なふるまい

「どうする家康」ツアーズ
久能山東照宮(くのうざん とうしょうぐう)静岡県、静岡市。
洋時計。鉛筆。眼鏡。

東照宮。徳川家康をまつる神社のこと。
神廟(しんびょう):家康の墓所。
なきがらをここへ埋めるように遺言した。

静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)

人物名

・松平忠輝(まつだいらただてる)、上総介(かずさのすけ)家康の六男

・北の政所/ねね/高台院
秀吉の正室。

浅井三姉妹

・長女
茶々(ちゃちゃ)/淀君/御母公(ごぼこう)
秀吉の側室。秀頼の母。

・次女
初(はつ)/常高院

・三女
江(ごう)/お江与(おえよ)
ニ代目将軍、徳川秀忠の正室。

・伊達政宗。独眼竜政宗。陸奥守。

・黒田官兵衛(別名:黒田如水(じょすい)・黒田孝高(よしたか)

・黒田長政(くろだながまさ)。黒田官兵衛の嫡男。

家康の政策

家康の政策

・士農工商
身分制度、階層を作る

・江戸城の大改築

・城下町造り

・鉱山開発
石見、但馬、佐渡、越後、伊豆の縄地など

・貿易振興
御朱印船9艘→150艘に。

・朝鮮と再交流。

・平戸をオランダとの貿易港として許可。

・キリシタン禁止令
スペインがキリスト教の布教を足がかりに日本征服を目論んでいると知ったため。

家康の家臣や周りの人々(江戸幕府以降)

・大久保長安(おおくぼ ながやす)
所務奉行、佐渡金山、一里塚を作る

・三浦按針(みうらあんじん)ウイリアム・アダムス(英)

オランダ船で漂着したところを家康に助けられた。(スペイン、ポルトガルは旧教、オランダ、イギリスは新教で対立している。)

大砲や造船に協力。幾何学、天文学など。

・藤堂佐渡守高虎

・長福(紀州頼宣)
・鶴千代(水戸頼房)

徳川家康ヒストリーその3

 

徳川家康ヒストリー1

徳川家康ヒストリー2

徳川家康 年表(1542-1616)

 

徳川家康ヒストリー3

■1584年(天正12年)43才

「小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦い」

秀吉VS家康・信雄(のぶかつ)信長の次男

決着が付かず。秀吉は信雄にすぐ謝り和議を結ぶ。

家康の次男の於義丸を秀吉の養子に出すことに。

秀吉の妹・朝日姫を家康の正室に。

大政所(おおまんどころ)(秀吉の母)も差し出す。

 

■1590年(天正18年)49才

・北条氏政・北条氏直親子の小田原城を攻め落とす。

 

・領地替え。

三河など東海5国から関東8国に代わる。

武蔵野の江戸に城を構える。

上野(こうずけ)、下野(しもつけ)、武蔵、相模、伊豆、下総(しもうさ)、上総(かずさ)、安房(あわ)

 

1600年(慶長5年) 59才

「関ヶ原の戦い」

× 石田三成(西軍)VS 徳川家康(東軍)〇

 

1603年(慶長8年) 62才

征夷大将軍となり江戸に幕府を開く

 

■1614年(慶長19年) 73才

「大阪冬の陣」

 

1615年(元和(げんな)元年) 74才

「大阪夏の陣」

豊臣家 滅亡

 

1616年(元和2年) 75才

駿府城にて亡くなる。

「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」という神様としてまつられる。

 

 

徳川家康ヒストリー1

徳川家康ヒストリー2

徳川家康 年表(1542-1616)

 

徳川家康ヒストリーその2

 

徳川家康ヒストリー1

徳川家康ヒストリー3

徳川家康 年表(1542-1616)

 

徳川家康ヒストリー2

1562年(永禄5年)21才

清州同盟。

織田信長と13年ぶりに再会。信長と同盟を結ぶ。

尾張の国、清州城にて。

今川氏真が激怒。人質を殺してしまう。

 

1563年(永禄6年)22才

改名。松平元康から⇒松平家康へ。

酒井忠直が謀反。三河一向一揆。

 

 

■1566年(永禄9年)25才

松平家康から⇒徳川家康へ。

信長の娘・徳姫を、家康の息子・信康の妻にむかえる。

 

力の弱った今川氏を東西から攻める。

武田信玄と家康は手を組む。

今川氏滅亡。
家康は三河と遠江2か国の領主になる。

 

1570年(元亀元年)29才

遠江・浜松城に居城。

 

1572年(元亀3年)31才

三方ヶ原の戦い

武田信玄に大敗

 

1579年(天正7年)38才

築山殿と息子・信康を切るよう信長に命じられる。

 

1582年(天正10年)41才

本能寺の変。

伊賀越え。

甲斐、信濃をおさえ、三河、駿河、遠江と合わせて5か国の大名となる。

 

 

徳川家康ヒストリー1

徳川家康ヒストリー2

徳川家康ヒストリー3

徳川家康 年表(1542-1616)